2022年9月19日
1.4 医療としての「美」,美意識としての「美」−2
●「美」はどこからやって来るものか?
ここで,もう一度,私は美容外科医としての自分を振り返り,問いかけてみよう. ――「美しさ」とは何であろうか? 「美」についてわれわれの先人は何を語って きたであろうか? 哲学者は何を語り,書物は何を残し,画家や音楽家は過ぎゆく 時の何を伝えようとしてきたであろうか?
通常,美容外科の仕事の現場では,美は「形や容量のプロポーションや整合性の バランス,左右対称性のある均衡と調和であり,そこからもたらされる癒しである」 というふうに教えられる(図 1.4).
そのような整合性と秩序のバランスが,美しさとしてわれわれの脳に感受され, 安らぎや喜びや快さとして感動を与えられる.
その総和が「美の輝き」(効果)だというのである.
このような美の捉え方は,しかし一定の法則性があるのではなく,地域や民族・ 文化・歴史・環境等によって変化し,さまざまな美の受け取り方も個々の当事者し だいで変化していることがわかる.「○」を美とする者もいれば「△」を美とする 者もいるのである.
「美」はわれわれに宿る美的感覚を喚起させ,われわれの目を喜ばせ,官能を高め,感嘆を招くことから,美容整形の場では「美しさは視覚的なフェロモン」という言い方がされる場合もある.
「美」は顔や,あるいはそれ以外のものでも,それらの形,バランス,色の適切 な組み合わせによって,見る者の目を喜ばせる.すなわち,「美」はそれ自体とし て存在するものではなく,あくまでも美しさを快さとして,癒しとして受け止める 者の目に映り,その内部に存在している,という見方である.
わかりやすい例をあげると,ある女性が通りかかり,一人の男性に出合ったとし よう.そのとき,彼女を見かけた男性の目に彼女が美しいと感じられていれば,彼 女は美しい.その男性の目に美しい女性として映らなければ,彼女は美しくない. これは当然の成り行きなのだが,つまり,「美」が誰しもを喜ばせるものとは限らず, 逆に彼が喜んだときにのみ,そこに「美」が現れるもの,という見解である.
●「美しさ」と「魅力」の違いについて
もし,具体的に誰かの顔が自分の好みに合っているとすると,われわれはその顔 や身体や人間性まで好意を持つに至る,という体験は誰でも体験したことがあるだ ろう.その場合,「美」の対象となった人は,外見的な印象に留まらず,さまざま な面で魅力を放ち,より大きな存在となる可能性がある.
古代エジプトに生まれた美女クレオ ・ パトラや,フランスの美人女流作家ジョー ジ ・ サンド,フランス王ルイ 14 世の愛妾ルイス ・ デ ・ ラ ・ バリエ,古代ローマ帝 国の女帝セオドラらは,いずれもその美貌たるが故に歴史上の人物として知られる 存在であるが,実際には彼女たちは顔の造作そのものは「絶世」と言われるほどに は美しくはなかったとも言われている. これはあり得るおもしろい見解である.
しかしながら,彼女たち伝説の美女は顔や姿かたち以上に,何にも代えがたい魅力を放ち,近寄りがたい大きな存在となっていったことは間違いない. したがって「美」は,現実的存在というよりも幻想的存在であるとする言い方も出来るかもしれない.幻想として感じ取った主観内部の虚構に「美」という花が咲いているのである.
こうした極端な表現でなくとも,「美」は目に映るものだけではなく,それを超 えて心に映るもの,受け手の心の中で結ばれるものである,と言えばよいかもしれ ない.人間性の魅力は,顔かたちの美しさを覆い隠し,上回るものがある.歴史に残る絶世の美女がわれわれに残してくれた遺言はそういうことであろう.
ところで,「美」を定義づける方法はいくつもあるが,美しさは時として「魅力」 と混同されることがある.「魅力」と「美しさ」の異なる点は,美はつかの間の移ろいやすいものであるが,「魅力」は日々に続く変わらぬものだということである. イギリスには「魅力は永遠,美しさはひととき!」という言葉がある. 結局,「美」は外見の条件のみで判断されるものではなく,心やその中にある内面的な「美」との兼ね合いで増幅し格上げされる,人の内と外との一体の調和である.
アメリカの社会学者フランクリンの説によると,女性の場合は,「美」は性的魅 力で美しいと判断されることが多いと言う.したがって女性美を判断するにあたって,前述した美の概念,すなわち左右対称性やバランスの良い顔や体のみならず, 潜在的な性的魅力が備わっているか否かが重要な要件として見逃してはならないことになる. 官能,すなわちエロティシズムは,われわれの内なる生命をかきたて, 呼び覚まし,「美」の評価に多大な感化を与えるものとして意識されるべきだというのだ.
ここまでふれてきたところで,「美」の概念について整理して見直すとすれば, 1)美の認識は文化やその人の感性によっても大きく異なる. 2)美は絶対的な形,バランス,左右対称性のみで決定されるわけではない. 3)性格,魅力,内面的美しさがそれを見る人に多大な喜びを与えるとそれ自体が美ととして認識される. 4)美は目が判断するのみならず,魂や心がそれを判断するものである. 5)今日の経験が将来に影響を及ぼすように,過去の記憶は現在のわれわれの心に 影響を与え判断の基盤となる.
これはブッダの次の言葉でうまく表現されている.「今日は昨日の息子であり,明日の父親である.」と. ともあれ,「美」は氷山のように,その一部が視界に現れているに過ぎないものである,と考えて差し支えないだろう.