GINZA CUVO

「この美しさは全部“つくりモノ”です!」

 

人は誰しもが子供っぽい表情“あどけなさ”,を有している.  しかし,もしあなたの表情に,子供っぽさやあどけなさが少ないとしたら,それは美容外科の方法を用いると手に入れることが不可能ではない.
長い間,「美」は,特にそれはヨーロッパにおいて,必ずしも自然現象ではなく,文化的な所産であった. 人間はより美しくなることを求め,美は男性よりも女性に とってより重要なものであった.(男性はむしろ力や権力に惹かれた.)そこで女性 は美しさと魅力をさまざまな装飾品でより高めようと模索したのである. 具体的には,お化粧,眼鏡,つけまつげ,イヤリング,髪型,ハイライト,唇周 囲,瞼,眉毛への入れ墨(入れ墨という言葉は女性には使うべきではなく,むしろ 半永久的な自然色素の注入とでも呼ぶべきだろう),帽子,ネックレス,目に見え ない装飾品である香水等である.
 
また,美の専門家たちは,ルックス上の欠点を補うため,さらに現代的な装飾品を研究している.モダンな眼鏡の厚い柄は目尻のしわを隠したり,鼻の高さを調節するブリッジは,短い鼻を長く見せることも可能である.もしくはブリッジを低くすると長い鼻を短く見せることも出来る.
こうした「美」をめぐる戦略は,時には控え目に,あるいは十分過ぎるほど華やかにマスコミの女性誌等を賑わしている.
古いことわざはこのことを見通したかのように次のようにまとめている.「美の 30%は自然から成るが,残りの 70%は装飾品から成る」と.装飾品を用いる人の欠点は,もはやそれなしで若いとか美しいと見なされないことである.
 
しかし「美しくなろうとする欲望」は,女性が仕掛ける男性への「罠」ではない. それは社会や家族によりよく受け入れてもらおうとする「望み」である.女性にとって,「美しさ」は理想の追究なのである.しかしながら,現代社会においてはこの半世紀に大きな前進があったものの,女性の地位や現実は男性のそれよりも低く厳しいというのが一般的な見解である.
 
お化粧が自信を与えるのに加えて,北アメリカインディアンの武装ペイントの例 もある.「外見を変えれば中身も変わる」とか,「準備をすればパレードが始まる」 とあるように,綺麗にすることは内心のエネルギーの発露において非常に重要である.
 
女優シャロン ・ ストーンは女性記者会見の席で次のように述べたことがある.「私は決して自分を絶世の美人だとは思っていない.むしろ偉大な手品師だと 思っている.」と.
また,黒人の美人として著名なタイラ ・ バンクスは,「私は醜くはないがこの美しさは全部“つくりモノ”です」とユーモアをまじえて大胆発言をしている.もちろ んそのユーモアも虚構の一手段として,彼女自身の魅力を引き立てているのである. 
 
「美」の歴史はいつの世も作られたもの,飾り物やお化粧とは無縁ではない.より美しい顔への希求はより自然な化粧方法の洗練として,あるいは若々しい要素の強 調として化粧によって施されてきた. 口紅は代謝の良い子供のような真っ赤な色を使うべきであり,頬紅はバラ色の頬 とし,パウダーは色白でビロードのような若い肌に見せなければいけない. これが デスモンド ・ モリスが名づけた「過刺激」である. とても長い偽物の睫毛は子供の長い睫毛を想起させる.しかし,お化粧も間違った使い方をすると,「美」を損なう場合もある.したがってお化粧は女性の友であり, 敵でもある.ある民俗学の著書には,魔女たちが具合の悪い病に陥った人たちの顔 にお化粧をして,共に暮らす人たちに無駄にショックを与えないようにしたと記載 されている.
 
 
 
 
目立つこと,目立たなくなることのメリット
 
――可愛らしさの元である「子供っぽさ・あどけなさ」について話を戻そう.  子供っぽい特性や表情は保護本能を喚起するのに大切である.声も同様に子供の ように柔らかく,親しみやすくなければいけない.喫煙者に認められるざらざらし た声は子供を連想させはしない.服装も目と心を喜ばせるものでなければいけない.若々しいヘアースタイルも大切である.ミニスカートは成人の長い足を想像させるのだろうか?その色も子供っぽい明るい色,特に青,ピンクは常に年配女性に選ばれる.もちろん,黒は避けるべきである.
 
以上をまとめると,全ての人間の感覚は視覚,聴覚,嗅覚(子供は無臭で,それ故に大人は消臭剤を用いる),触覚を強く要求し,特にしっかりとした皮膚感触が 重要だということである.「美の原理」はこれらのことを原初から知り尽くしており,美に関するこうした観点を様々に主張してきた.女性が手にするファッション誌では綺麗な胸,お腹, 足を有した女性が質感の良い肌を常に持ち得ているかは疑問のあるところだ.質感の良い肌,組織弾力性が子供の皮膚の基礎的資質であり,美しさの源でもある.
 
美しくなることは,“高価”なことでもある. たとえば高価な装飾品を手に入れることは富裕層には容易であっても,そうでは ない人たちには入手しがたい.しかしこの事実は美容外科医療は,それほど裕福で はない人の間でも人気が高いことを証明するものである.なぜなら彼女たちはもと もと与えられた物や,現実社会には満足できないからだ.彼女たちは自分たちを喜 ばせる唯一の手段として,美容外科手術により美しくなることを選択するのである.ある人は精神的な高貴な理由よりも物欲で心を感化しようとする.これはある種の人には,物が潤っているときやお金が儲かっているときに子供っぽい顔を見せると言われている.
 
また子供っぽい表情を見せる戦略は,貧困や不幸との戦いで国が予算を増やそうとする際に,大衆の面前でその運動を行う人々にも認められる.さらに言うと, 子供の乞食は大人のそれよりもより多くの施しを受けることが周知の事実でもある.
ウォルト ・ ディズニーの映画では,小さく弱そうな動物のみを用いて視聴者を うっとりさせる.彼の映画ではいつも小ねずみ,子犬,子鹿ばかりが出てきて,決して大人の動物は主役にならない.おもちゃを例にあげても,人形はほぼ小さな動物か子供の顔をキャラクターとして用いている.
『星の王子さま』の著者サン ・ テグジュペリはかつて次のように語ったことがあ る.「何事においても,最終的な判断するものは心であり,目ではない.」と.
 
また体に欠陥のある場合も保護本能を喚起することを知っておく必要がある. その一つの例として,政治関連の女性著名人が外科的に容易に治せる軽度の斜視を敢えて放置するのは,この有名な保護本能を喚起さるためなのだ.この戦略により誘惑と魅力の力を増長させる.こうした軽度の障害を彼女たちは治療しようとしないのである.  なぜなら顔の一部が完全に美しくなければ,むしろ違う部分を強調させ,欠陥部分を目立ちにくくする,もしくは他の強調された部位で目をくらませることが出来るというメリットがあるからだ.例をあげるなら,ある人の目がとても美しく,鼻が平均的なのであれば,目を出来るだけ美しく飾ることで鼻はさらに目立たなくなる.これはコンラッド ・ ローレ ンツ理論を知らない美容家のアドバイスであるが,どのようにすると顔がさらに美 しくなるかをきちんと理解している. また男性の顔の傷は美しさを損なうが,恥をかかないようにするには社会の場でパソットが言うように「彼に兵士の名誉を与えよ.彼は英雄なのだ」ということを主張すればよい.
 
 
同様に Muller-Lyer の錯覚(図 1.8:同じ長さの直線が違う向きの矢印がその両 端についていることで,長さが異なるように見える錯覚)を知らない美容家でも,メイクアップを目の内側角に行って,目と目を近く見せたり,逆に目の外側角にメ イクアップを行い,距離が離れているように見せかけることが出来る.
これは長い顔や広い顔の頬骨にメイクアップを行い,顔を短く見せたり,狭く見 せたりするのと同様である.また口紅でも唇を短く見せたり,長く見せたり出来る.
 
 
 
 
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■図 1.8:Muller-Lyer の錯覚.上方矢印は下方矢印より短く見えるのは,矢印が外側を向いている からであり,直線の長さは一緒である.
 

「可愛いらしさ」の深淵について

 
コンラッド・ローレンツは,行動科学の進化決定についての業績により,1973 年の「ノーベル医学 ・ 生理学賞」を受賞した科学者である.彼の発言はわれわれに「美」についてのさまざまな見識・ヒントを与えてくれる. ローレンツは,『動物と人間の行動』という著書の中で,人間と動物の母性本能の存在を証明する次ページのような図 1.5 を示している.
 
 
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■図 1.5:幼児が引き出す保護本能についての図解  左列の頭は可愛らしい印象を与える(子供,ねずみ,チン犬,ハト)  右列は小さい物をいたわる感情をもたらさない(男性,うさぎ,猟犬,カラス)
 
 
 
 
これらの左図には子供と幼い動物,すなわちねずみ,北京犬(チン),そしてロビンレッド鳥が示され,右図には大人の人間と動物の頭が描かれている. ローレンツが,これらの図のどちら側が好ましいかについてテストをしたところ, 全ての回答者が子供の図の方が好ましいと判断した.このテストからローレンツは,「美は感情そのものであり,この感情は弱者を守るというわれわれに備わった本能 に起因するもの」だという興味深い見解を示している.
 
 
子供に特有の大きな頭,大きい額,その下にある大きな目,ふっくらとした頬, 短い手足,柔軟性,ぎこちない動きなどは,全て「可愛らしさ」の象徴である.それらの細部の一々はお人形さんや動物のぬいぐるみにも特徴づけられているものだろう. 左列が「可愛らしさ」を象徴するのに対して,右側の大人のイラストは保護本能を喚起しない. 結論は明らかで,子供の顔が基礎となって大人の顔が形成されているが,子供らしい特徴のある顔ほど「魅力的」なのである. 全ての人が,本能的に子供の顔に魅力を感じる.こういった幼い特徴を見ると, われわれは「保護したり,守ってあげたい」という気持ちが自然に喚起される. 
 
 
そうした傾向は人間にのみ限ったことではなく,動物にも認められると言う.コンラッド ・ ローレンツは大人の動物が子供を守るのは,子供が発する外見的特 徴,音,臭いなどにより保護本能をくすぐられるからであると言っている.それは 人間にもあてはまり,これらの条件は保護,同情,優しさを誘発させる動機となっている.
 
 
 
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■ 図 1.6:コンラッド ・ ローレンツは読書の心に触れるためこのような漫画を書いた.その漫画には 幼児や動物の特徴が強調されている.具体的にそれは頭が標準より大きく,額も丸みを帯びている. 頬は膨らみ,手足は短い.
 
 
 
繰り返し述べるが,幼い子供の場合は丸みと膨らみという可愛らしさの特徴がある.具体的には丸みを帯びた額,ふっくらとした頬,小さくてやや上向きかげんの鼻などで,これらは全て幼児の特徴で保護本能を呼び起こすものである.また童顔は「純真,誠実,正直,弱さ」を感じさせる. 一方,右列の大人の顔はこういった保護本能を呼び起こさない. 幼児から成人になると頭は平坦化し,額は後退,鼻は長くなり,頬はこけて,幼児が持っていた全ての特徴は失われる.そういった顔を見てもわれわれの保護本能は全く喚起されな い.成長した動物でも同様で,図 1.5 に示された 2 列の比較は驚愕的である.
 
 
デザイナーや画家,そして漫画家たちはこうした顔の特性に熟知しており,見る 者の心を動かすためにはそうした傾向をあえて誇張して描くことが多い. たとえば 可愛らしさを強調するときは故意に頭を大きく,額を丸く,そして頬をふっくらと, そして手足を短く描いたりする. 
 
 
ところで,成人男性の場合はこうした幼児特有の輪郭を失ってしまうが,女性の場合はそれを保持することが出来るのである.それ故に有能な美容外科医は,美しさに必要な幼児的な外見特性を最適化するよ う治療するのである.それは人々の目を引く“子供っぽさ”“愛らしさ”であり, 具体的な形象について述べると,「柔らかさ,丸さ,優しさ」などである.
 
 
これまで述べたように,成人の顔で「可愛らしさ」の印象を与える基盤は,幼児の有する特性に伺えるが,そうした幼さの外見的特徴ばかりでなく,動きのある表情も美しさには重要な要件である.そうした表情を作り,他人の関心を引くことも出来る.他人を喜ばせたり感動させたりするのに,動きのある表情がいかに有用かを知って意識化した成功者もいる.たとえば歴代のスター,ブリジッド・バルドー,マリリン・モンロー,オードリー・ ヘップバーンなどは,子供の「可愛らしさ」をうまく活かしたので,幅広い人気を獲得することが出来たと言ってよいだろう. 特にマリリン・モンローは,まるでお化粧の方法を知らない小さな少女の印象を与えるため,故意に失敗したような化粧を施していたとも言われている. また,遊んだばかりの少女を想起させるような乱れた髪型を故意に作り出すため, 長時間美容院で費やしたとも言われている.
 
 
 
秩序のアンバランスや調和の破綻としてある「可愛らしさ」は,それゆえに,男性が女性に感じる「美」へのあこがれを掻きたてるもの,「美しさ」の代役であり 化身なのである. もし女性が子供っぽさを失い,逆に男性を支配しようとすれば,男性は女性に対する保護本能を感じず,奥さんや恋人よりも母親を思い出すだろう.女性は美しさに対する関心が男性より高いので,彼女たちは意識的,無意識的にも子供っぽさを態度に表すのである.
それは「弱さ,もろさ,無垢,ナイーブさ,無知,感情的,不機嫌さ,感嘆,好 奇心」であったりする〈可愛らしさ〉〈愛らしさ〉の記号である.女性はそのか弱 さを最大の武器とし活用し,保護本能を喚起させようとするのである.言い換えれば,女性にとって最大の強みは〈弱く見せかけること〉に他ならない.女性たちの「作られた弱み」は,男性の心に直接的に訴えかける目的で利用する常套手段であるといってよい.
 
 
 
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■ 図 1.7:上:男性は幼少時代の曲線から角を帯びた顔になる. 中:子供の輪郭は曲線的で丸み を帯びている. 下:女性は幼少時代の曲線的輪郭を維持する
 
 
 
かのナポレオンは,女性の最大の二つの武器は,「化粧と涙である」と言った. 化粧の価値については後述することとして,涙とは先ほど述べた女性の「か弱さの象徴」に他ならない.それ故に,いかに子供っぽさが注目を引くかがわかるだろう. それを掻きたてるアクセントとは,たとえば「そばかす,紅色の頬,紅潮した顔色, 長い睫毛,金髪の巻き髪,膨らんだ頬,形が良くふっくらとした唇など」である.
男性の場合は,女性のように幼さを最大限に活用する必要はないが,それでも女 性たちの人気の的となったクラーク・ゲーブル,ゲーリー・クーパーなどの色男, レオナルド・デカプリオのような優男たちは毎日ヒゲを剃り,子供っぽさを醸し出 そうとする.男性にもこういった幼さを感じさせる要素があった方が,女性の関心を引くの だ.もちろん,男性の場合,子供っぽさの全ての要素が必要なわけではなく,一つ でもあればよいわけである.
 

「美」はどこからやって来るものか?

 

ここで,もう一度,私は美容外科医としての自分を振り返り,問いかけてみよう. ――「美しさ」とは何であろうか? 「美」についてわれわれの先人は何を語って きたであろうか? 哲学者は何を語り,書物は何を残し,画家や音楽家は過ぎゆく 時の何を伝えようとしてきたであろうか?
 
通常,美容外科の仕事の現場では,美は「形や容量のプロポーションや整合性の バランス,左右対称性のある均衡と調和であり,そこからもたらされる癒しである」 というふうに教えられる(図 1.4).
 
そのような整合性と秩序のバランスが,美しさとしてわれわれの脳に感受され, 安らぎや喜びや快さとして感動を与えられる.
その総和が「美の輝き」(効果)だというのである.
 
このような美の捉え方は,しかし一定の法則性があるのではなく,地域や民族・ 文化・歴史・環境等によって変化し,さまざまな美の受け取り方も個々の当事者し だいで変化していることがわかる.「○」を美とする者もいれば「△」を美とする 者もいるのである.
 
 
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■図 1.4:(man & woman) 美とは形とその容量のバランス  知らない女性と男性がビーチですれ違うとき,お互いが,自分の肉体的欠点を減らし,自分の魅力を強調しようとする.だがお互いが立ち去ると,その状態は維持できず元に戻ってしまう!
                                                                                      
 
「美」はわれわれに宿る美的感覚を喚起させ,われわれの目を喜ばせ,官能を高め,感嘆を招くことから,美容整形の場では「美しさは視覚的なフェロモン」という言い方がされる場合もある.
「美」は顔や,あるいはそれ以外のものでも,それらの形,バランス,色の適切 な組み合わせによって,見る者の目を喜ばせる.すなわち,「美」はそれ自体とし て存在するものではなく,あくまでも美しさを快さとして,癒しとして受け止める 者の目に映り,その内部に存在している,という見方である.
 
わかりやすい例をあげると,ある女性が通りかかり,一人の男性に出合ったとし よう.そのとき,彼女を見かけた男性の目に彼女が美しいと感じられていれば,彼 女は美しい.その男性の目に美しい女性として映らなければ,彼女は美しくない. これは当然の成り行きなのだが,つまり,「美」が誰しもを喜ばせるものとは限らず, 逆に彼が喜んだときにのみ,そこに「美」が現れるもの,という見解である.
 
 
 
 
「美しさ」と「魅力」の違いについて
 
もし,具体的に誰かの顔が自分の好みに合っているとすると,われわれはその顔 や身体や人間性まで好意を持つに至る,という体験は誰でも体験したことがあるだ ろう.その場合,「美」の対象となった人は,外見的な印象に留まらず,さまざま な面で魅力を放ち,より大きな存在となる可能性がある.
 
古代エジプトに生まれた美女クレオ ・ パトラや,フランスの美人女流作家ジョー ジ ・ サンド,フランス王ルイ 14 世の愛妾ルイス ・ デ ・ ラ ・ バリエ,古代ローマ帝 国の女帝セオドラらは,いずれもその美貌たるが故に歴史上の人物として知られる 存在であるが,実際には彼女たちは顔の造作そのものは「絶世」と言われるほどに は美しくはなかったとも言われている. これはあり得るおもしろい見解である.
 
しかしながら,彼女たち伝説の美女は顔や姿かたち以上に,何にも代えがたい魅力を放ち,近寄りがたい大きな存在となっていったことは間違いない. したがって「美」は,現実的存在というよりも幻想的存在であるとする言い方も出来るかもしれない.幻想として感じ取った主観内部の虚構に「美」という花が咲いているのである.
 
こうした極端な表現でなくとも,「美」は目に映るものだけではなく,それを超 えて心に映るもの,受け手の心の中で結ばれるものである,と言えばよいかもしれ ない.人間性の魅力は,顔かたちの美しさを覆い隠し,上回るものがある.歴史に残る絶世の美女がわれわれに残してくれた遺言はそういうことであろう.
 
ところで,「美」を定義づける方法はいくつもあるが,美しさは時として「魅力」 と混同されることがある.「魅力」と「美しさ」の異なる点は,美はつかの間の移ろいやすいものであるが,「魅力」は日々に続く変わらぬものだということである. イギリスには「魅力は永遠,美しさはひととき!」という言葉がある. 結局,「美」は外見の条件のみで判断されるものではなく,心やその中にある内面的な「美」との兼ね合いで増幅し格上げされる,人の内と外との一体の調和である.
 
アメリカの社会学者フランクリンの説によると,女性の場合は,「美」は性的魅 力で美しいと判断されることが多いと言う.したがって女性美を判断するにあたって,前述した美の概念,すなわち左右対称性やバランスの良い顔や体のみならず, 潜在的な性的魅力が備わっているか否かが重要な要件として見逃してはならないことになる. 官能,すなわちエロティシズムは,われわれの内なる生命をかきたて, 呼び覚まし,「美」の評価に多大な感化を与えるものとして意識されるべきだというのだ.
 
ここまでふれてきたところで,「美」の概念について整理して見直すとすれば, 1)美の認識は文化やその人の感性によっても大きく異なる. 2)美は絶対的な形,バランス,左右対称性のみで決定されるわけではない. 3)性格,魅力,内面的美しさがそれを見る人に多大な喜びを与えるとそれ自体が美ととして認識される. 4)美は目が判断するのみならず,魂や心がそれを判断するものである. 5)今日の経験が将来に影響を及ぼすように,過去の記憶は現在のわれわれの心に 影響を与え判断の基盤となる.
これはブッダの次の言葉でうまく表現されている.「今日は昨日の息子であり,明日の父親である.」と. ともあれ,「美」は氷山のように,その一部が視界に現れているに過ぎないものである,と考えて差し支えないだろう.
 
 

美容外科医の父・フルニエの「美しさとは何か?」

 
1980 年代,フランスのパリでは多数の著名な美容外科医が開業し,美容整形の 在り方をめぐって最先端の個性と流行を競い合っていたが,中でもパリ中心部で開 業するフィリップ・フルニエは,美容外科医の立場から具体的に「美」を論じ,美 を求める女性たちの願望や理想と向き合い,双方の出合いの場所を模索した「現代 美容外科の父」と呼ばれる名医である.
フルニエ博士は美容外科医の理論的中枢であったばかりでなく,脂肪吸引の安全性を高めた器具の開発者の一人であり,ケミカルピールの向上にも貢献し,現実的な手法の取り組みの上でも改革者として異彩を放っていた.
 
以下はフィリップ・フルニエ博士の「美容外科と美」を主題とする代表的な論文の翻訳である.フルニエ博士の指導の下,主旨を損ねない範囲で日本語表現に置き換え,私なりに解釈を施した「超訳」で,美容外科医の立場と美についてまとめてみた.
 
美容外科医の場合,手術技術の修練もさることながら,〈美しさとは何か〉を掌 握しておくことも非常に重要である.「美は治療に先立つ存在である」と言ってよ いだろう.いかに技術的に卓越していても,その結果が美容外科医の持つ美しさの 概念やバランスから逸脱したり,患者の想いや望みとすれちがいが生じたり,ある いは受け入れられないというものであれば,その治療結果は決して成功したとは言 えない.
したがって,美容外科医は精緻な治療技術に卓越していると同様に,「美とは何か」 をイメージする芸術的な感覚を習得し,絶えず論理的に美を追究し,患者と向き合 う人でなければならない.
 
 
 
「健やかさ」と「美しさ」の定義
 
WHO(世界保健機構)では,健康の定義について「病気でないとか,弱ってい ないということではなく,肉体的にも,精神的にも,社会的にも,全てが満たされ た状態」としている.「健康と疾病」は,静的に固定された別々の状態ではなく,連続したものであ り,人間の尊厳の確保や生活の質を考えるために必要な本質的なものだと言うので ある.こうした考え方は現在のところ,世界共通の認識・定義となっているが,古代の 人々はどのように考えただろうか.ギリシャの哲学者プラトンは,健康とは沈黙の 臓器であると定義したが,これはありていに言えば,「健康は目には見えないもの」 という意味であろう.
 
プラトンは,「美」について,「健康の後に位置するもの,富よりも重要なもの」 とも言っている. また,これも古代哲学者らしく深遠な言い方で「最も大切なのは健康で,美は二番目に大切なもの,そして物欲よりは上位にあるもの」とも言っている.
要するに,「美」はこの現実を超えたとらえにくいもの,崇高にして神秘的なもの, と解釈して差し支えないだろう.
しかし,われわれ美容外科医の現場にあっては,「美」は現実を超えたとらえに くいものであってはならない.美はこの手の中でとらえられる明白なものでなくて はならないのである.望みや好みはさまざまだから,時には「健康よりも美を上位と考える人」もいるかもしれないし,実際にそういう願望を突きつけられる危いケースも無きにしも非ずである.
 
しかし,医師としてはどんな場合も健康を損ねない範囲で,「明白な美」を追究 しなければならない.健康と美,「健やかさ」と「美しさ」は,われわれ美容外科 医の現場ではどちらかが上位ではなく,「同等の価値」として存在することが原則 である.
 美容外科医が参考とする症状・治療等に関する優れた研究・テキストは,いまや世界中に数多散在しているが,一方,不思議なことに「美容外科医の美学」として発表された論文や研究成果を寡聞にして私は知らない.それは,美容外科医の美に関する教育・研究が十分に行われていないことを側面 的に物語るものだろう.それは美容外科医に問題意識のせいばかりではなく,「美」 がもともと移ろいやすく,とらえがたいものだからである.
 
「美」は制度や概念や因習ではなく,いまそこにあり,生きて動くものである. 無数の姿・形となって瞬くものである.
いろいろな人たちに「美の所在」について訪ねると,さまざまな答えが返ってくる.その多くが満足のいく「完全な返答」にならないのは,美が一つの正解を得たとしても,すぐにそこからこぼれ落ちるような多様性のあるものだからである.
 
したがってここでは,「群盲象をなでる」という古い教えを逆手に取って,美容 外科の現場から見た〈美の断片〉について,実感的に,実践的に,われわれの思索 を展開してみたいと思う.とらえがたい崇高な美ではなく,いまここにある,見て ふれることの出来る美の話である.
 
私の体験では,美容外科医として「美とは何か」という問いにふれるためには, 心理学的に接近することが,一つの有用なアプローチであった.つまり治療の現場 で対等に向き合った際,その人の求めを理解するように努め,患者たちが感じて取っ ている「美」について共感しようと接近することが,一つひとつの私の「美」に接 近する具体的な手がかりだったのである.
患者の望む「美」というものに心理的に接近し,共感することが,「美の希求」にふれる美容外科医としての私の立場だったと換言してもよいだろう.
 

現代美容医療の「美」と「医」の役割

 
すなわち少子高齢化時代は,われわれ一人ひとりが自分の身は自分で支えざるを得ない厳しい時代の到来と捉えることも出来るだろう.
こういった社会状況の中で,“アンチエイジング”と呼ばれる「出来るだけ長い 間健康を維持し,明るく活発に生きるための新しい概念」が出現した.そして美容 外科医療のニーズも急速に“アンチエイジング”のための美容外科医療へと変貌を 遂げていったのである. 
たとえば美容外科領域では,高度経済成長時代に若者に大人気だった「二重埋没法」や「隆鼻術」等の手術は,少子高齢化とともに激減した.その代わりに台頭したのが中高年層がしみ,しわ,たるみを改善を目的とする「アンチエイジングのための美容外科医療」である.
 
一般的にわれわれは,40 歳半ば以降から中高年層と呼ばれる.医学的に見ても われわれの成長ホルモン量や筋肉量は 40 代を迎えると図 1.1,図 1.2 の如く,急激に減少する.骨格や筋肉量はトレーニングにより,その減少や老化を止めたり遅延させることが可能だが,トレーニング等によっても食い止めることが出来ない老化現象も同時に発生する.
 
その代表的な老化現象は,中高年層世代に必発する“老眼”と呼ばれる近い物を 見る際にぼやける視力低下減少である.老眼は眼球前部にある視力ピント調節に関 与する水晶体の弾力性低下と,水晶体に付く毛様体筋の老化による機能不全が原因 で,こういった老化現象はいまの医学では予防不可能である.したがって,この回 避不能な老眼の出現によりわれわれは老化を自覚する.
 
また中高年層世代には老眼とともに“眼窩周囲のたるみ症状”が併発しやすいが, この症状も老眼と同様回避不能である.老眼が自覚症状に留まるのに対して,こう いった眼周囲の外見的老化兆候は,周囲の人達にもはっきりと知られることとなる.
こういった老化兆候を発見した人達は,時として無神経に本人の目の前で指摘するようになる.こういった思わしくない経験を繰り返すうちに,回避不能な老化兆候はわれわれの心の奥底で多大なコンプレックスとして膨らんでいく.そしてこの
コンプレックスは,われわれに老化という厳しい現実を焼き付けていき,次第に中高年層世代は自信を喪失するとともに人生への希望を失い始める.
 
老眼は眼鏡や老眼治療手術が発展しているが,眼窩周囲を中心とする顔面の老化 現象に対する美容外科的治療も,そういった老化に対する多大なコンプレックスに 苛まれる人々への救いの手段として進歩している.そしてこういった老化現象を食 い止めるための医療が,抗加齢(アンチエイジング)外科とも呼ばれるようになった.
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先駆的役割を果たした東京新橋十仁病院

 

我が国の美容外科医療の萌芽も,昭和初期にヨーロッパから導入移植されたものと言われている.前述のように,ヨーロッパの近代医療技術は第一次世界大戦で負傷した兵士たちの傷病に大きく寄与し,その方法と実績が我が国の美容外科の発展にも多大な影響を及ぼしたのである.

第二次戦後の日本の美容外科の進展の中で先駆者的な役割を果たしたのが,東京・ 新橋の「十仁病院」である.「十仁病院」は総合病院の形態を取りながら,多くの 美容外科手術を求める患者を治療した「美」と「医」の両輪を追究する現代美容医 療の先駆け的存在と言っても過言ではない.
 
日本における美容外科の歴史において,美容外科が正式な医療行為であるとの認 知に比較的時間がかかったのは,それが健康な身体に外科的侵襲を加える行為であ るのに対して,安全性の確立が不十分であったことが一つの大きな要因でもあった.
当時の美容医療一般は今日の美容外科の水準と比べると,“手探り状態”と言っ てよい段階で行われており,その中でもパラフィン製剤を用いた豊胸治療等による後遺症などが社会問題化されたことがあった.
初期の美容外科治療においては,豊胸術や顔の若返り術と称して,皮下に直接ゲル状のシリコンを注入し,合併症を引き起こしたり,隆鼻術と称して解剖学的に無謀なプロテーゼ(シリコン樹脂を板状に加工したもの)の挿入を試み,プロテーゼが後年に皮膚を突き破って出てくる症例などが散見された.
 
 
 
標榜科としての正式認定を受ける
 
こうした経緯から,医療の信頼性の回復と先進的技法の修練・構築という目的か ら,1958 年には日本形成外科学会が組織され,1972 年に形成外科は標榜科として 正式に病院の診療科目に加えられ,1978 年には美容外科も標榜科として正式に認 定を受けることとなる.この美容外科の認定に当たっては,「十仁病院」初代院長 梅澤文雄による情熱的とも言える強い働きかけにより,標榜科認定を受けたと言われる.
 
この頃を契機に,美容外科は社会的認知度を急速に広めていくのである.我が国 の経済社会は高度経済成長時代を経て,豊かに成熟した市民社会を形成するに至り, 女性たちの美しさへの憧れや願望・意識も急上昇のカーブを描いていった.外見的 美しさを獲得するための美容外科医療は,右肩上がりの社会とともに発展していったのである.
当時東京や大阪など,大都市のみに限定して事業展開していた美容外科医療で あったが,テレビ・ラジオなどのマスコミ媒体の急速な発展により,都心部のみな らず,日本全国各地にこの新しい医療の存在を知らしめることとなった.
 
そしてこの医療のビジネス価値をいち早く知った医師の中からは,全国チェーン展開する新手の美容外科クリニックも誕生し,瞬く間に拡大していったが,その一方では確実な技術を有することなしに強引な手術を行ったことに起因する医療トラブルも絶えなかった.さらには,治療を提供する医師側の明らかなモラル欠如と思われ金銭や女性関係にまつわる刑事事件なども多発し,美容医療の評価を著しくおとしめる結果を招くところとなった.
 
美容医療に携わるこのようなモラルの低迷は,別の見方をすれば需要過多の「奢りと混乱」であり,専門的な医療に裏打ちされず,業態として確立されていない不用意な精神がごく一部には横行したのである.人々が美容外科医療に対して他医療とは一線を画した印象を持ち始めたのも,人を救うという医療の本来あるべき姿から大きく逸脱する例がこの時期から跡を絶たなかったからである.
とは言え,「美」と「医」の二つの理想を追究する現代美容医療は混乱期の壊滅 的な打撃により,迷路に入り込むという深刻な事態を招くことはなかった.
 
国民経済はこの高度成長の後に起こったバブル経済の崩壊を経て,“失われた 10年”と呼ばれるような長い不況の低迷期に突入していくが,その間も我が国の経済活動は安定的に推移し,多くの人々に物質的充足感と安定した生活意識をもたらしている.
こうしたなかで,国民の価値観は〈モノよりも自分自身の存在〉にこそ求める傾向が強くなり,外見的価値の改善・見直しや維持に直接的に貢献する美容外科医療は,激変する社会状況に揉まれながらも着実に成長していったのである.
西暦 2000 年の新しい時代(ミレニアム)の幕開けとともに,モノよりも己に価 値を見出す志向は一層高まり,人々は自己の成長発展に対する投資を惜しまなくなった.
そして我が国は先進国の宿命とも言える少子高齢化時代を迎え,かつてのように若い次世代に現世代の老後をゆだねる時代は過去の産物に成り果てた.
 

評判を呼んだ皮膚筋皮弁のリフトアップ治療

 

「眼瞼形成術」については 1818 年,ドイツの医師 Von G raefe によって初めて 体系づけられたとされている. 第一次大戦後,1928 年にドイツの Bourguet が後隔膜に位置する下眼窩脂肪の存 在について発表し,さらに経結膜的アプローチによる下眼過脂肪除去術について報告している. しかし,この時点での経結膜的下眼瞼脂肪除去術(皮膚切開を用いないで目の裏側から進入する方法)の適応は,余剰皮膚がほとんどなく下眼窩脂肪が前方に突出した症例のみが適応であった.

第二次大戦後,1950 年代に入ると,ニュージーランドの Sir Archibald McIndoe が,下眼窩脂肪の除去と一緒に皮膚切開法を用いる皮膚筋皮弁のリフトアップ治療 を行い,良好な結果を得られることが出来た.この治療結果が評判を呼び,皮膚に余剰がある症例でも良好な成績が得られるようになった. 近年,1990 年代半ばには米国(アメリカ)の Hamra ST. が脂肪除去を行わず, 眼窩縁靱帯を緩め,眼窩脂肪を眼窩縁に移動させることで,皮膚から突出した眼窩 骨縁や,そこから鼻部に向かって伸びる溝形成を緩和させるという新手法 Hamra 式下眼瞼形成術を実施した.
しかし,皮膚切開法による目の下のクマ(くま),たるみ治療(下眼瞼形成術) を行うと,下眼瞼縁の変形などの問題がある一定の割合で起こることがわかっている. その主因は,皮膚切開時に眼輪筋に伸びる顔面神経末梢枝を損傷することで眼輪 筋機能低下が発生し,瞼板が弛緩することで下眼瞼の外反傾向が起こるからである. このように皮膚切開法を用いた下眼瞼形成術に伴う下眼瞼縁の変形や外反を予防 するため,眼瞼縁外眼角部の支持処置の重要性が知られるようになった.

 

中高年にも適応が広がった経結膜的下眼瞼形成術

 

そもそも外眼角形成術や外瞼板抜去術は,外傷など何らかの原因で発生した眼瞼 縁の変形修正のための治療手技であった.近年これらの手技は,美容外科目的で行 われる下眼瞼形成術にて,眼瞼縁変形の予防としての意義が証明され始め,1990 年以降は下眼瞼切開法は中顔面の若返り治療としても用いられるようになった.

このアプローチで広範囲に中顔面を剥離し,より大きな効果をもたらす治療が進化するにつれ,下眼瞼縁支持に関与する手法が中顔面挙上治療の中で重要な役割を占めるようになった.
一方,皮膚切開をしない経結膜的アプローチによる目の下のクマ(くま),たる み治療(下眼瞼形成術)は 1928 年の Bourguet の発表以来,80 年以上に亘り,ヨー ロッパを中心に行われてきた. また1970 年代および 1980 年代,北米にて数々の文献が発表されたが,Zaremと Resnick の画期的な発表のおかげで,この手法が世界中で認知されるようになった.
経結膜的下眼瞼形成術の初期,この方法は若年層で脂肪のみが突出し,皮膚の弛緩がない症例のみの適応であった.近年その適応が中高年層にも広がり,多少余剰皮膚が存在する場合でも,良好な成績が得られるようになった.特に皮膚切開法にしばしば伴う下眼瞼縁の変形等が発生しないため,その技術が確立されるにしたがって,この方法が大変良好であることが証明された.

1.1 形成外科の一部門として確立されるまで

 

 

古代インドの「造鼻術」に始まる世界美容外科

 

世界最初の美容外科の手術は紀元前 1500 年頃,古代インドで“造鼻術”が行わ れたという記録がある.当時のインドでは,刑罰として「鼻そぎの刑」が行われて いたが,そのそがれた鼻を元に戻すために額の皮を移植して鼻形成をしたというの である.

 

眼瞼周囲の美容外科については,紀元前 400 年頃のインドの記述,Susruta- tantra に記載があるが,時を隔てて近代では 1845 年にドイツのディーフェンバッハが,ユダヤ人に特徴的な鷲鼻を当時の美的基準に照らしてギリシャ・ローマ人のような均整の取れた形にする鼻形成術が行われていた.

 

美容整形と形成外科の原点は一緒であり,紀元前 6 世紀頃の古代インドと言われている.そこで行われていた造鼻術の技術はギリシャやローマにも伝わり,ルネサ ンス期の 1597 年にはイタリアのタリアコッティが形成外科の教科書を書いている.

 

エリザベス・ハイケンの『プラスティックビューティー〜美容整形の文化史〜』 によると,美容整形の原点とも言える形成外科の歴史は古く,16 世紀にイタリア のタリアコッチが決闘で失われた鼻の再建を上腕からの皮膚移植により成功させた という記述があるが,それ以降は形成外科の記録はなく,歴史的記録としては,第 一次世界大戦で英仏米各国の従軍医による戦傷者治療まで待たなくてはならない.

 

 

「美しくなる」ためには時間と努力を惜しまない女たちの登場

 

当時は負傷者の中に顔面外傷も多数含まれており,「形成外科」という呼称はな かったが,従軍医たちは再建手術として治療に当たっていた.そして,第一次世界 大戦後のアメリカ社会では医療分野の専門化,組織化が急速に進み,形成外科部門 は戦時中の功績が認められ独立した分野になっていき,それとともに「美容外科」 へも次第に注目が集まっていったのである.

 

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当時のアメリカ女性は,「美しくなる」ためには時間と努力を惜しまず,重症を負っ た兵士にも負けないほどの大金を美容医療に投じたという記録も残っている.

 

1921 年には美容外科手術がアメリカ社会にすっかり定着し,アメリカの女性に とって〈美〉はたんなる願望ではなく日常生活の中で必須のものになっていった. つまり,「美容整形」は戦傷者治療によって確立された形成外科の一部門として, そこから独立していくという成り立ちを持っているのである.

 

 

4.上眼窩

上眼窩は図-3で示されるように、皮膚直下に眼輪筋、そして眼輪筋直下には眼窩隔膜(Septum)が存在する。また図-6は眼輪筋を切離し、眼窩隔膜に達した所である。眼窩隔膜は矢印で示された白い膜状組織でその下に上眼窩脂肪を包み込む。また図-7は皮膚切開法を用いた上眼瞼形成術を施行した際に上眼窩脂肪を展開したところであるが、上眼窩脂肪に到達するには眼輪筋とこの脂肪の境界をなす眼窩隔膜を切離する必要がある。上眼窩脂肪は中央、外側部は比較的発達しているが、内側部はさほど発達していないことが多い。図-8では横走靱帯を認める。眼瞼挙筋は横走靱帯を滑車に上眼瞼を開眼させる。

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図-6:上眼瞼皮膚切開後、眼輪筋繊維に沿って平行に割を入れながら進入すると矢印で示した上眼窩隔壁(Septum)に到達する。

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図-7:上眼窩隔膜を切開し、上眼窩脂肪を前方展開したところ。

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図-8:余剰脂肪を除去し、デマル鉤にて上眼窩内を上下方向に展開すると、眼瞼挙筋腱膜上に横走靱帯を認める。

5.下眼窩

眼窩内で眼球と眼窩骨間を埋める黄色で示された組織は上下眼窩脂肪である。この脂肪量は東洋人で多く、加齢とともにその容積が増加する傾向にあり、いわゆるBaggy eyelid(目のたるみ)として典型的な老化兆候として認識されやすい。図-9は典型的な下眼窩脂肪の膨隆であるが、この脂肪は内側、中央、外側と3つのコンパートメントに分離されている。下眼窩脂肪に達するには下眼窩隔壁前面から進入する前隔壁アプローチと下眼窩隔壁後面から進入する後隔壁アプローチがある。図-10は前隔壁アプローチにより、下眼窩脂肪に到達しているが、その際は下眼窩隔膜を切離しなければならない。

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図-9:典型的なBaggy eyelid(下眼瞼膨隆)

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図-10:眼窩隔壁前方アプローチにて下眼窩脂肪に到達し前方へ引き出しているところ。

また図-10では、経結膜的下眼瞼形成術の際に下眼窩脂肪内側、中央部をそれぞれピンセットでつまみ、上方へ引き出している。図-11は下眼窩脂肪外側部をペアン鉗子で把持している。図-12は下眼窩脂肪内部を横走するRockwood 靱帯である。Rockwood 靱帯は下眼窩内側から外側眼窩骨まで伸びており、下眼窩脂肪を固定する役割を担っている。上下眼窩脂肪の機能的役割は定かでないが、眼球を衝撃から保護したり寒冷地で暮らす人々にとって眼球を低温から守る断熱作用を有していると考えらている。

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図-11:下眼窩脂肪外側部を同定し、鉗子にて把持しているところ。

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図-12:下眼窩脂肪を下眼窩内で左右に固定するRockwood靱帯(矢印)を同定したところ。

6.眼瞼挙筋とLower Retractor

図-1の緑で示された部位は、上眼瞼では眼瞼挙筋と呼ばれ、動眼神経の支配を受けて上瞼を開眼させる。眼瞼挙筋と瞼板接合部はハードコンタクトレンズを長期装用した場合や、加齢現象により弛緩することがある。同部位が弛緩すると眼瞼挙筋の上瞼を挙上させる力が伝わりづらくなり、いわゆる"眼瞼下垂症"が出現する。また眼瞼挙筋下にある青色組織は交感神経支配を受けるミュラー筋と呼ばれる筋組織で、この筋肉も上瞼の開眼に関与する。図-13矢印は眼瞼挙筋が瞼板へ付着する筋膜移行部を示す。筋膜移行部近位にはピンク色をした眼瞼挙筋自体も認められる。下眼瞼では上眼瞼の眼瞼挙筋が退化し、筋肉から結合組織状のLower Retractorと呼ばれる組織に置換されている。Lower Retractorは何ら機能を有していない。経結膜的下眼瞼形成法ではLower Retractorを切離しながら進入する。

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図-13:左上眼瞼にて矢印で示された横走靱帯下部に眼瞼挙筋瞼板移行部を認める。

7.眼窩結膜

灰色で示された上眼瞼ミュラー筋、下眼瞼Lower Retractorの眼球面は眼窩結膜で覆われている。眼窩結膜は上下天蓋部(Fornix)で折り返し、眼球結膜へと移行する。したがって経結膜的下眼瞼形成術で下眼窩内に局所麻酔剤を注入する際、眼球結膜に局所麻酔剤が移行し、図-14の如く眼球結膜が浮腫状となることがしばしばある。

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図-14:下眼窩結膜に注入した局所麻酔が眼球結膜にも浸潤し、矢印の如く眼球結膜下部が浮腫状となっている。通常この眼球結膜浮腫は治療後7~10日程度で自然解消される。

8.外眼筋

赤色で示された組織は外眼筋の一部であり、上眼瞼では上直筋、下眼瞼では下直筋と呼ばれる。これらの筋肉は眼球運動機能に関与しており、上直筋は眼球上転運動、下直筋は眼球下転運動を司る。外眼筋にはこれら以外にも内側直筋、外側直筋、上斜筋、下斜筋と全部で6個の筋肉から構成される。図-1の黄色で示された筋肉は下斜筋であり、この筋肉は図-15の矢印の如く、しばしば経結膜的下眼瞼形成術の際に遭遇する唯一の外眼筋である。

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図-15:右下眼窩内の矢印で示された赤い組織は下斜筋で、下眼窩脂肪内側部と中央部の境界を斜走する。

下斜筋は下眼窩脂肪内側部と中央部を分けるように位置している。下斜筋は眼球外側から起始し、頭外側から尾内側に向けて斜走し、眼窩骨底に停止する。下斜筋は動眼神経に支配され、収縮すると眼球を上外側方に向ける作用を有する。経結膜的下眼窩形成術において下斜筋を損傷すると眼球上外側方運動に支障を来し、斜視や複視を引き起こす可能性があるので、注意が必要である。下斜筋以外の外眼筋に眼窩形成術を行う際に遭遇することはあり得ない。

症例:59歳 男性

経過:

従来より下眼瞼(目の下)のたるみ、最近になって上眼瞼のたるみ(上眼瞼下垂症状)が気になっていた。こういった知識がない本人は綿密なインターネット検索の結果当クリニックの存在を知り、症状改善の可能性を求めて来院した。

診察:

症状(写真-1)を上部から観察すると、上眼瞼陥没、軽度の眼瞼下垂症、中等度の下眼瞼たるみ症状を認める。上眼瞼下垂症の診断は、眼球動向をやや上眼瞼を覆う状態から軽度眼瞼下垂症と診断した。その症状はやや右>左である。

次に下眼瞼症状を観察すると、典型的な下眼窩脂肪突出による目の下のたるみ(buggy eyelids)が存在すし、症状は右<左である。このbaggy eyelidsによって下眼瞼皮膚色素が強調され、いわゆる目の下のクマ(くま)も目立つ状態である。

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写真-1(治療前)

治療後評価:

上眼瞼下垂症状は下眼窩脂肪膨隆(buggy eyelids)症状がその一因として考えられること、また本人の希望により、最初に下眼瞼症状(目の下のたるみ)改善のための経結膜的下眼瞼形成術から行った。

治療7日後の写真-2を観察すると治療後の腫れはほぼ解消されたものの、左目周囲に軽度内出血が残存している。下眼窩治療は下眼窩内側〜外側まで包括的に行うので、このように内出血が下眼窩内側から外側、さらに上眼瞼まで波及することがある。通常この内出血は治療後10日程度で解消される。

摘出された下眼窩余剰脂肪(写真-3)を観察するとその量は右<左で症状と矛盾せず、下眼窩膨隆症状は適切に処置されたことがわかる。

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写真-2(治療7日後)

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写真-3(下眼窩摘出脂肪)

写真-4の如く下眼瞼治療後1年6ヶ月が経過、症状固定(最終治療結果)に至り、治療前に比べて目の下のたるみ、クマ(くま)症状は大幅に改善された。右下眼瞼に軽度たるみ症状が残存するが、その原因は前回治療において下眼瞼凹み等予防を最優先に治療を行ったため下眼窩脂肪が軽度残存したことによる。だが患者はこの症状はあまり気にしていないため、このまま様子をみることとした。

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写真-4(下眼瞼治療1年6ヶ月後及び上眼瞼下垂治療前)

今回の治療は以前から存在した両上眼瞼下垂症を対象とした。1年6か月前の下眼瞼治療以前(写真-1)と比較すると、治療後の現在(写真-4)、ある程度上眼瞼下垂症状が改善されている。その理由は上眼瞼下垂の一因が下眼瞼構造の不具合なので、下眼瞼治療によりその不具合が解消された結果、上眼瞼下垂症状がある程度解消された。

上眼瞼下垂症に対する治療は上眼瞼挙筋短縮術を行った。この手術は上眼瞼二重線に切開を加えた後、眼輪筋に平行切開・侵入し上眼窩隔壁に到達する。さらに上眼窩隔壁内に切開侵入し、眼瞼挙筋を同定する。次に弛緩した眼瞼挙筋遠位端と上眼瞼腱板を短縮縫合し、眼瞼下垂改善を確認する。その際、眼瞼下垂の一因である余剰皮膚及び上眼窩脂肪を適切に除去することも大切である。最後に上眼瞼皮膚縫合を行い治療を終了する。

上記治療7日後(写真-5)を見ると両眼窩周囲の内出血、左目では上眼瞼二重幅の著しい腫脹を認めている。上眼瞼から摘出された余剰皮膚と脂肪(写真-6)を確認するとその量は右>左で症状と矛盾していない。

眼瞼下垂治療(眼瞼挙筋前転術)が適切に行われた初期サイン(兆候)は両上眼瞼陥没症状の解消だが、本症例でもすでにその初期サイン(兆候)認められた。

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写真-5(上眼瞼下垂症治療7日後)

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写真-6(上眼瞼から摘出された余剰皮膚と脂肪)

両上眼瞼下垂症治療後1か月が経過し、眼瞼下垂症状は良好に解消され、患者満足度もこの時点で非常に高いものとなった。(写真-7)

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写真-7(上眼瞼下垂治療1ヶ月後)

だが治療4ヶ月後、本人は左目の開眼が右目に比べてやや劣ることが気になり、左目再治療を強く望んだので左目上眼瞼下垂再治療を行うこととした。(写真-8)

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写真-8(上眼瞼下垂治療4ヶ月後)

1度目に比べ治療侵襲が軽微なため、抜糸時(治療8日後)でもその腫れは少ない。(写真-9)

初期治療にてほぼ自然な結果が得られていたため、今回の再治療では眼瞼挙筋前転量も控えめとし、左上眼瞼のみが過剰矯正に陥らないことを最優先として治療を行った。

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写真-9(上眼瞼下垂再治療後8日後)

再治療後7ヶ月経過時点での写真を確認すると、今回の再治療では左眼瞼挙筋前転量も軽微であったため、得られた治療結果も比較的軽度であった。(写真-10)

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写真-10(上眼瞼下垂再治療7ヶ月後)

だがこの患者の場合、左上眼瞼下垂症状へのこだわりが大変強く、もしさらなる改善が望めるのであれば、最後にもう一度左上眼瞼の治療を希望した。このような症例の場合、治療を拒絶するのも一案であるが、患者の治療への理解、認知・良識も問題なく、医師との信頼関係は十分にあったので、今回の治療を最後と確約した上で左上眼瞼下垂再々治療を行った。

治療は余剰皮膚切除を中心に行い、眼瞼挙筋前転は確認程度とし、ほとんど行わなかった。(写真-11、写真-12)

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写真-11(上眼瞼下垂再々治療7日後)

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写真-12(上眼瞼下垂再々治療時の余剰皮膚)

最終的に左上眼瞼は3度治療を行ったため、左二重幅は治療1ヶ月が経過しても慢性的腫脹が継続している。(写真-13)

だが本人はすでに複数回治療を行った経験から遷延する経過に熟知しているせいか、不安等を感じることなく現状にすでに満足していた。このように上眼瞼下垂治療は大変デリケートな治療であり、必ずしも1度の治療で解決するとは限らない。患者ー医師信頼関係を構築した上で、過矯正を確実に予防するため、今回の如く必要であれば再治療することを念頭に置くべきであろう。

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写真-13(上眼瞼下垂再々治療1ヶ月後)