2022年9月20日
ポルトガル-3
ポルトガルで感じた本当の幸せ 成功した美容外科クリニックは週末を休日に出来るようになるという。美容外科にいらっしゃるお客さんたちは、週末に治療を行いたいと思うだろうから、週末にクリニックを開けておいた方が商売としては都合がよい。だが、そこで働く美容外科医も、出来れば他の人たち同様、のんびりとした週末を過ごしたいと思っている。しかし、開業したての頃は顧客獲得や、開業資金返済のため、休み返上で働かなければいけない。休みをとれるようになっただけでも良い方で、稼ぎ時の週末を休めるようになるには、少なくとも4~5年着実に働き、良い評判を得ることで経営的に安定してからの話だ。ポルトガルのアンジェロ医師の場合、すでに10年近くクリニックを営み、経営的に安定していたので、土日は休業していた。 週末僕は他の研修医たちとリスボン市街の観光に出かけた。レストランにはいると、休日は昼間からでも水代わりにワインが出てきたが、どのお店でも1ボトル500円くらいで十分に美味しかった。リスボンで生活すれば、たぶん東京の10分の1程度のお金で十分だろう。リスボン旧市街に行ってみると、道路は石畳から出来ており、少なくとも4~500年前のものと思われる建造物に今も多くの人が暮らしていた。特に有名な観光名所はないが、歴史あるリスボン独特の雰囲気に浸っているだけで十分に楽しむことが出来た。 ポルトガルを訪れ、僕は自分が経済大国に暮らしていることを改めて感じた。東京では街を大多数の人が忙しそうな顔をしながら行き先を急いでいる。我々は常に生活に追われているような切迫感があるが、人の集まるところでは物価が高くなるので、それは経済大国で暮らす者たちの宿命なのかもしれない。それに比べると、ポルトガルは経済的大国ではないものの、そこに暮らす人々は余裕を持ちながら人生を楽しんでいる。これは一体どういうことなのだろうか?自国が経済的に豊かであれば、そこに暮らす国民も経済的に恵まれ、幸せになれると考えるのが一般的だろう。だが、それは真実だろうか?僕はポルトガルのような国を訪れて、そうは思わなくなった。むしろ、経済的に豊かになろうとすればするほど、急がしく働きまわり、心の余裕を失い、結果的に幸せを失うことになりかねない。そもそも、幸せを獲得するにはそれほどのお金は必要がない。 もちろん、衣食住に困るような貧困状態では幸せを得られないのは当然だが、安定した衣食住さえあれば、幸せは考え方次第で誰にでも手にはいるはずなのだ。だが、残念ながら我々はお金さえあれば何でも手に入るといった妄想や、将来どうなるかわからないといった不安への備えとしてお金への過信から、知らず知らずのうちにお金にマインドコントロールされている。お金にマインドコントロールされると、お金を稼ぐことが人生の目的のようになり、人々は心の余裕を失い、心の余裕が最も大切な条件である本当の幸せを失うことになる。これでは本末転倒というもので、我々がそもそも何のために生きているか分からなくなってしまう。日本の現状は残念ながら、米、英先進諸国と足並みを揃えてこのマインドコントロールにかかっていると言わざるを得ない。 ポルトガルは日本のように経済的繁栄を享受していないが、それはかえって良いことなのだろうかとすら思える。僕はアンジェロ医師に「ポルトガル人の生活は楽しそうですね。」と問いかけると、彼は「はい、我々は人生を謳歌する方法を知っています。」と言った。「それは何ですか?」と続けて尋ねると、アンジェロ医師はにこっとして次のように答えた。「我々ポルトガル人がイギリスやフランス、ドイツなどの経済大国の仲間入りをしないことです。経済発展は彼らに任せておけばいいのです。もし、お金持ちになりたければ、そういった国々で働くのがいいでしょう。でも、お金持ちになっても幸せになれるとは限りません。本当の幸せは心の豊かさにあります。経済的豊かさを深追いせず、心の豊かさを保つことが肝心なのです」と。