2022年9月20日
ハワイー6(クリフ・ジャンプ)
野生児、マーク サーフィン生活は一ヶ月を過ぎた。僕はもはやこのバンガローの古株の1人になっていた。もっと古株だった南アフリカ出身のマークは、トライアスロン・ワールドカップ出場のトレーニングを行っていた。年齢は24歳、僕と同じくらいだったが、度胸と体力に秀でたこの白人の若者は、バンガローの番長格だった。マークはトレーニングの一環としてビーチバレーを行っていた。球技が得意な僕は、ビーチバレーのセッターとして、マークにスパイクの打ちやすいトスを上げると、彼にすっかり気に入られた。マークと僕のチームは、他のバンガローの連中と試合をしても、負けなしだった。“スポーツで頭角を示すと、周りから認められる。”このルールは世界共通なのだろう。僕はマークの相棒として、バンガローでは一目置かれる存在になっていた。 サーフィンの出来ない波の小さい日、僕たちはハイキングやダイビングに出かけた。波の小さいある日、マークが「クリフ・ジャンプ(崖から海へのダイビング)に行こう。」と提案した。マウイ島の南側、ラハイナ、カアナパリは、風光明媚な観光地帯だが、ここには断崖が海に落ち込む場所がいくつかある。その一つは高さ20メートル、ビルの高さだと五階に相当する崖が、海の上にそびえ立っていた。崖下をのぞき込むと、濃紺の海が波で大きく揺れていた。その波は岸壁にぶつかると、大きな白い波しぶきをあげていた。海の色から、この高さから飛び込んでも、十分な水深があるのは一目瞭然だった。日頃のサーフィンのトレーニングで、泳力には自身があったので、僕は飛べると思った。 この冒険にはバンガローのサーフィン仲間、10名が参加した。マークは「さあみんな、飛ぼうぜ!」と、風に負けない大きな声で言った。仲間の1人が恐る恐る崖下をのぞき込み、「風が強すぎる。風に押されて、体が崖にぶつかるかもしれない。危ないからやめよう。」と言った。マークは「崖から助走をつけて、できるだけ遠くに飛べば大丈夫さ!いいかい、みんな俺が飛ぶのを見てろよ。」と言った後、いきなり着ていたT-シャツをはぎ取った。彼は僕に向かって「タカ、俺が飛んだら、次にお前が飛ぶんだぞ!」と言った。その後すぐに、彼は雄叫びを上げなら、勢いよく海に飛び込んだ。僕たちは崖ぷちに近づいて、海の中のマークを探した。飛び込んでからしばらくすると、マークが海面に顔を出した。波風の音でマークの声は聞こえないが、しきりに身振りで僕たちに“早く飛べ。”と合図していた。相棒のマークが飛んだからには、僕が飛ばないわけにはいかなかった。僕は度胸を決めて、思い切り飛び込んだ。風で体が揺れているのがわかった。次の瞬間、ものすごい衝撃とともに海に着水した。体はどんどん海の深くに沈んでいった。これ以上沈まないところで、僕は海面に向かって必死に泳いだ。海面は大きな波で揺れていたが、周りを見渡すとすぐそばにマークが浮かんでいた。彼は「なかなかいいジャンプだったよ!」と僕に声をかけた。 裂けた唇 結局5名がクリフ・ジャンプを試みた。飛び込んだ皆が海面にそろった段階で、マークは皆に「陸に戻るからついてこい。」と言った。飛び込んだ崖の下まで泳ぐと、マークは波が彼の体を押し上げる勢いを利用して、崖にしがみついた。彼がやったように、波のタイミングをうまく利用しなければ、逆に体は引き波で崖から遠くに引きずられる。仲間の1人は壁にくらいついたが、引き波に捕まって、海中に逆戻りした。僕は、波のタイミングを見計らって、なんとか崖にへばりつくことに成功した。上を見上げると、マークがどんどん崖を登ってゆく。水際の崖壁は、海草が生えていてつるつる滑る。マークのように易々と崖を登ることはできなかった。 僕は飛び込むのに精一杯で、どのように戻るかは全く考えていなかった。実際には飛び込むより、崖をよじ登るほうがずっと困難だった。僕はなんとか登りきったが、極度の疲労で全身が脱力感に襲われた。崖上の地面で、しばらく真っ青に広がる青空を見ながら、大の字になって横たわっていた。すると、マークが僕の顔をのぞき込んで、「お前、口の中から血が出ているよ。」と言った。僕は上半身を起こして口の中を指でさわってみると、上唇の中が裂けていた。マークは続けて、「クリフ・ジャンプのように高所から飛ぶ場合は、しっかり口を閉じていないと、水圧で唇の中が切れてしまうよ。」と言った。僕はそんなことも知らずに、口を開けっぱなしで飛び込んでいたのだ。マークに唇の怪我を指摘されると、上唇の中が突如、ひりひり痛み出した。マークは、「タカ、もう一回飛ぼうぜ!今度は口をしっかり閉めるんだぞ。」と笑いながら言ったが、僕は今度飛んだら、崖の上に戻れる自身がなかった。「もう、止めておくよ。」とマークに言った。その後、マークはたった1人で、また例の雄叫びをあげながら、再び崖下に飛び込んでいった。