2022年9月19日
アンチエイジング診療の外ー13(クラッシュ)
ロス・アンジエルスを舞台にした映画“クラッシュ” 本年度のアカデミー賞は“クラッシュ”が受賞した。滑稽だったのは、劇場での放映がいったん打ち切りになっていたのに、先日この映画がアカデミー賞作品賞を受賞したとたん、また映画館で放映されるようになったことだ。日本では興行的に成功しなかったので、早めに打ち切りになっていたのだろう。この映画が公開される宣伝を見たとき、出演しているマット・ディロンのことが気になった。彼はほぼ僕と同じ歳で、20年くらい前にフランシスフォード・コッポラ監督の青春映画“アウトサイダー”でいい演技をしていた。それからマット・ディロンは影を潜めていたのだが、この映画でまだ健在であることを知った。 早めに仕事が終わったので、六本木ヒルズにあるヴァージン・シネマに寄って、この映画を見ることにした。休日前であったにもかかわらず、午後10時近くの映画館の人影は意外にもまばらだった。特にあらすじがあるわけでもなく、ロサンジェルスを舞台にしたこの映画は、異なった人種間の人間模様を描いて淡々と進んだ。これらの人々が偶然にも、いくつかの状況で重なり合い、一つの物語になるという展開を持つ映画だ。ハッピーエンドで終わるコメディ・タッチのイギリス恋愛映画の“ラブ・アクチュアリー”のシリアス・バージョンといった感じだ。 アメリカの中でロス・アンジェルスは良い意味でも悪い意味でも最もアメリカ的だ。この街は温暖な気候のため、さまざまな土地から人が流れてきやすい。メキシコ、南米、アフリカ、中国などから不法入国者はあとをたたない。当然これらの人々は貧しく、自暴自棄となって犯罪や麻薬に手を染める人間も少なくない。本来であれば、フロンティア精神あふれるアメリカ人にとって、理想の土地であるロスは米国で最も治安の悪い場所の一つに陥ってた。貧困の中で人々は互いに対立しやすくなるが、“人種のるつぼ”と言われるアメリカの中で、ロスは人種差別があからさまになりやすい。“クラッシュ”は交通事故に絡んだ人種差別問題を発端に、銃社会、貧困、家族関係など、現在アメリカの問題点を浮き彫りにしてゆく。 街に見かける人種差別の実態 僕は大学院生時代の3年間をニューヨークで過ごしただけに、これらの問題は他人事とは思えない。東洋人としてのマイノリティー、大学院生というどちらかと言えば低所得者の立場にいた。ある休日、香港人の友人と昼食に行く時、僕がジーンズにT―シャツで現れると、彼は僕に「もう少し、まともな装いをしてこなきゃ、駄目だよ。」と指摘された。僕はすかさず、「ちょっと、待った。だって、ピザを食べに行くって言ったじゃない?あそこじゃみんなジーンズ姿で食べてるよ。」と切り返した。友人は「あの店をよく見てごらん、ジーンズ姿でいられるのは白人たちだけだよ。僕たちが同じ格好をしていたら、いやがられるんだよ!」と答えた。僕は思わず「どうして?」と訪ねた。友人は「僕たち東洋人が白人に受け入れられるには、上品な格好をしてお金があるということを示す必要があるからさ。」と言った。簡単に言うと、僕たち東洋人がジーンズにT-シャツだと、中国などから不法入国した人たちと区別がつかないというのだ。まさかと思ったが、これがアメリカの人種差別の現実だ。 マンハッタンの街角を歩いていると、窓の外から内装がとても上品な感じのレストランがある。もう少し深く奥を覗き込んでみると、店内は見事に白人だけだ。僕がよく通っていた中華料理、インド料理の店にはあらゆる人種が集まっていたのに。何故だろうと思って、店の外に掲げてあるメニュー表を見て納得がいった。食事の値段が通常の店より一桁高いのだ。ニューヨークではWASP(White, Anglo-Saxon, Protestant)つまり、白人でアングロサクソン系(イギリス、ドイツ系)、そして宗教がプロテスタントの人たちが裕福になるように社会が形成されている。このレストランの料金設定は彼らWASP用に設定されていて、裕福な白人のみが利用できるように仕掛けてあるのだ。同じ白人でもアイルランド系のように、宗教がカトリック系であると、警察官や消防士のようにブルーワーカーとなる。 僕の経験した人種差別 僕が通っていたロックフェラー大学はマンハッタンのアッパー・イースト(高級地域)に位置していた。大学から歩いて数分の場所に大学で働く職員のためのマンションがあり、僕もそこに住んでいた。住人の多くは研究者や医師たちとのその家族で、これらの富裕層の住むマンションにたまたま僕のような薄給の大学院生が入り込んだ形となった。このマンションのそれぞれの出口には防犯上の理由で、ガードマンたちが24時間駐在していた。ある日、僕はT-シャツにジーンズ姿で、マウンテンバイクに乗ってセントラルパークまで行った。いつものように帰りがけに自転車を抱えて、マンションに入ろうとすると見慣れないガードマンが僕に「お前はそこから入るんじゃない。」と呼び止めた。彼は僕のことを出前を運ぶ中国系使用人と勘違いしたらしい。(僕のマンションには使用人たちの別の入り口があった。)僕はすかさず大学院の身分証明書を見せて、僕がこのマンションの住人であることを訴えると、ようやくマンションに入れてもらうことが出来た。このとき香港の友人が言う、「服装にも気をつけなければ、差別の対象になりかねない。」という意味がその時わかった。 “クラッシュ”がアカデミー賞作品賞を含め、3部門で受賞したのは、映画の中で描かれたアメリカの問題点が多くの人に共感されたからだろう。マット・ディロンは過去のアイドル的な印象からは脱皮して、難しい役をこなしていた。この映画は人種差別の少ない日本で暮らす僕たちにはわからないアメリカ社会の厳しい現実を示す。残念ながら、そこには解決の糸口さえなく、絶望感が漂う。ただ、映画のクライマックスでロスの街には珍しく舞い落ちる雪はとても美しく、厳しい現実の中で生き続ける人々の気持ちに、ほんの少しでも安らぎを与える気がした。