2023年11月6日
思いあがりについて
今回は”思いあがり”について考察したいと思いますが、”思いあがり”の意味は”自分の能力を実際以上だと思い込んで行動し、それは客観的に見ると見苦しい”ことで、別の言い方では”うぬぼれ”、英語では”ナルシシズム(自己愛・自己陶酔)”となります。。
今回何故この言葉をテーマにしたかですが、往々にして我々は若いときは鼻っ柱が強く自信過剰になりがちで、それは若さには潜在能力・体力・将来への可能性を有し、あるいみ恐いもの無し的な”ノリ”があるので、つまり、”若さ=思いあがり”と括っても問題ありません。
ところが年齢を重ねるにつれ当然体力は減退するし、夢は萎始め将来の可能性も閉ざされるので、よく言えば達観(真理や道理を悟り、何事にも動じない状態)するし、悪く言うと人生の諦め(断念・放棄)となりますが、その代わりに、若年世代に特徴的だった”思いあがり”傾向も消滅してゆくはずです。
ところが諦めが悪く簡単に観念しないタイプ、しかも幸運にも健康に恵まれ、病気一つしたことのない僕のような人間は、年齢による衰えをさほど感じないせいか、いまだに”思いあがり”が健在するようで、暦年齢が年寄り領域に入ったことは認めるものの、生物学的年齢はまだ若者たちに負けない、もしくは負けたくない気持ちが強く残っています(O_O)
それはだいぶ以前、このブログでも触れたように、遅かれ早かれ肉体は老けますが、それに反して魂が老けたり衰えにくいとも言い換えられますが、いずれにせよ、僕のようにいい歳(50代後半)をして”思いあがり”が抜けないと、時折痛いしっぺ返しを食らうことがあるので、本ブログ後半はその話をしようと思います(>_<)
僕を含めて一般人は、生活の糧を得るため仕事を生活の中心にしながら、仕事終わりに気の合う仲間と飲み食いしたり、休日にスポーツ・音楽・読書・映画鑑賞なおの趣味の時間を過ごしながらストレス発散し、そういったことに生き甲斐を感じつつ日々を過ごしているはずです。
僕も、30代に入って本格的に仕事を始めてからはずっとそのように生きてきましたが、それから30年近くが経過し、残り時間が少なくなった来たことを実感し始めると、人生で思い残すことが(この世を去る時に後悔し)ないよう、今更ですが何事にも出来る限りの努力をし始めたのです(^0^;)
僕の場合、特にスポーツへの思い入れが強いようで、例えばランニングで最高パフォーマンスを出せる時期はとうの昔に去ったにも関わらず、いまだに諦め切れず、自らの設定タイムをクリアするのに死に物狂いですが、これこそ”思いあがり”の極値で、ここ数年、その努力と裏腹に痛いしっぺ返しを食らい続けていて、それは僕のみならず50~60代に差し掛かった多くの人たちに起こりうるリスクなので、その詳細を語る価値があると思っています。。
紙面の関係上今回その詳細は説明出来かねるので、その予告編として簡単に述べますが、最近クリニックにいらした香港の患者さんたちから聞いた話によると、60代手前の人たちが突然死する例が後を絶たないらしく、その内容を詳しく尋ねると、中国では60歳を還暦(人生の折り返し地点)を日本人以上に意識しているらしく、還暦前にもうひと頑張り、無理なことをして心臓発作・脳卒中で命を落とすというのです(゚◇゚)ガーン
それを聞いた途端、”それって決して他人事なんかじゃなく、僕にも充分に当てはまるんじゃ!!??”と、僕はそのことに気付いた途端背筋が寒くなり、パンデミック前後に起きた僕の”思いあがり”が引き金になったいくつかの健康上アクシデントがフラッシュしましたが、次回はその話を続けたいと思います。