2022年9月20日
ある冬の出来事-1
春の兆し
4月初旬の道東地方、春の兆しが見え始めたが、まだまだ寒い日々が続いていた。救急医療に従事してから丸4年が経過していた。僕の体はこの4年の間にいつのまにか病院使用になっていた。4月といっても、日中、屋根の上の雪が溶け始めたが、夕方になって冷えるとまだつららになるほど寒い。
病院宿舎から歩いて1~2分の距離を歩くだけで寒いと感じるほど体は寒さに弱くなっていた。それもそのはず、病院内は病人たちのために室温は常に25度以上と快適な温度に保たれ、その中で4年間過ごしていたわけだから、僕の体は病院使用に変わってしまっていた。すっかり外に出るのがおっくうになり、一日中病院にいることが多くなっていた。
こんなんじゃいけない。もっと体を使わなきゃと思っていても、毎日仕事に追われていると、運動をする機会もめっきり減ってしまった。日中の仕事が終わっても週2~3日の夜間救急外来勤務が待っていた。このような生活をしていると自分をいじめるのが好きになり、いわゆるマゾ的な要素が現れる。僕は病院食を食べ、病院着を身につけ、一日中ただただ働いていた。
午前中の診察を終え、病院の最上階で昼食に向かう。病院食は決して美味しいものではなかったが、お腹が空いていればとりあえず何かは口に入れたくなるものだ。
退院間近で自分で歩けるようになった患者たちは病室から食堂までやってきてくる。毎日の回診で、入院患者たちとはすっかり顔見知りになっているから、食堂に入ってきた僕に患者さんたちは「先生はいつも忙しそうですね。」と誰にあっても同じ声をかけてくる。僕は「そうなんですよ。この地域は医師不足なので。」と、やはり同じ答えを返し続けた。
昼休みは少しでも患者さんたちから離れて一人になりたかったので、僕はトレイにご飯とお味噌汁、いくつかのおかずを乗せて、医局に向かった。医局にはすでに春の日差しが差し込み、数日前に積もった屋根の雪が溶け、勢いよく窓の外に流れ落ちていった。窓を開けて新鮮な空気を吸い込むと、まだ外の空気はひんやりとしたが、春の香りが漂い始めていた。晴れ渡った空の向こうの山々はまだ真っ白な雪で覆われていたが、春の訪れを感じたせいか、僕の気持ちも軽くなった。
何しろ、この街では10月中旬には雪がちらつき始め、冬はあっという間に訪れる。12月から3月いっぱいは厳冬期だ。特にロシア方面から下降してくる流氷がオホーツク海沿岸に押し寄せると、最高気温が0度以下の真冬日が連日のように続き、まるで冷凍庫のような状態になる。だから、長い冬が終わりを告げる4月に春の気配を感じるだけで、心が軽くなった。
しばらく窓から景色を見ていると、医局内にいた同僚医師が「えーっと、今晩の救急当直は誰かな?」とつぶやいた。壁に貼り付けた当直表を確認すると、そこには僕の名前が書いてあった。あまり前から当直表は見ないことにしていた。近い将来の予定を知ることで憂鬱になりたくなかった。救急当直があると、前の日から翌日まで、仕事が24時間絶え間なく続くことになるのだ。僕は憂鬱な思いを隠しながら「今晩は僕です。」と答えた。