2022年9月20日
映画”スラムドッグ&ミリオネア”
経済発展著しいインド 人口11億人のインドの人口の50%以上が30代以下とこの国は非常に若い。現在その中の1億人(日本人の人口数に近い数)程度が携帯電話などの電化製品、そして車などを取得する可能性のある中流階級となっているらしい。残りの10億人は貧困層だが、この貧困層も将来、インドの経済がさらに発展すると中流階級に仲間入りし、消費予備軍となる。この将来性を考えると、インドの経済的発展の可能性とその価値は非常に高い。そのせいか日本からも、ドコモ、トヨタ、東京UFJなど、蒼々たる企業がインドに進出を始めている。 インドの中でも経済が急速に進んでいる街の一つ、ムンバイが映画”スラムドッグ&ミリオネア”の舞台だ。先日見に行ったこの映画、アカデミー賞8部門を獲得したとあって非常に完成度が高く、見応えがあった。そもそも不況続きの米国ではハリウッド映画が衰退しつつある。元気のないハリウッドに資金投入を積極的に行っているのがインドであり、そのためハリウッドでのインドの影響力が強くなっているらしい。 映画の主人公はムンバイのスラム街に生まれ、毎日食べてゆくのがやっとの生活を送っていた。我々日本人にはわからないが、東南アジアなどの発展途上国に行くと、多くの人たちはこのような貧困層といっても過言ではない。この映画の主人公はどんなに貧しくても、まずしさが故の逆境にも負けることなく、純真な心を失わずに成長を続ける。 ここで僕の幼少時代を振り返ってみると、その頃は口に入れるものこそ困らなかったが、決して現代っ子のように物質的に恵まれてはいなかった。だが、今振り返ると、そういう境遇のほうがかえって良かったとすら思える。僕が幼少時代を過ごした北海道の港町、釧路では大量のサンマが毎日水揚げされていた。荷台に大量のサンマを積みこんだトラックが、舗装のされていないでこぼこ道で、ぼとぼととサンマを落としてゆく。落ちたサンマを小学生の僕がランドセルに入れて持ち帰り、それが毎晩の夕食となるような生活だったから、スラムドッグ&ミリオネアを見ていてもあまり違和感がなかった。 映画”スラムドッグ&ミリオネア”から学んだこと ”衣食足りて礼節を知る”ということわざがある。貧困生活に長く身を置くと、大人たちも悪に手を染め始める。中国の北京や上海の郊外を訪れると、手足のない子供たちが物乞いをしている。信じられない話だが、この地域のヤクザたちは故意に子供たちの手足を切り落とし、路上で哀れみを乞いて、お金を稼がせていることもあるらしい。スラムドッグ&ミリオネアの主人公も、同様な悪事を行うヤクザたちと暮らしていたが、そんな悪環境から命からがら逃げ出すことに成功する。 主人公は青年へと成長するが、かつてスラム街だったムンバイ市街はインドの急速な経済発展とともに、あっという間(10年間程)に大都市へ変遷を遂げる。 この映画を見ると感じるが、スラム(インド、ムンバイ市街)にはハリウッド(ロス・アンジェルス市街)に引けを取らないか、むしろそれ以上のパワーがあった。 果たして、このような悪環境で暮らしている人間たちには夢も希望もないのだろうか?映画の主人公の兄はいつの間にかヤクザの仲間入りをし、残念ながら悲しい結末を迎える。 だが、主人公本人はどんなに悲惨な境遇にさいなまれようと、一貫した信念を持ち続け、幸せを手に入れることに成功する。その信念の支えが何であったかは映画を見てのお楽しみだが、どんなに時代や環境が変わっても、人間の魂が輝き続けるには愛の力が必要なのだ。結局、”幸せ”とはその人がいかに恵まれた環境が与えらたかには依存しない。そして、”本当の幸せ”を得るには何を信念とし、いかに充実した人生を生きるかにかかっている。映画”スラムドッグ&ミリオネア”は、僕のように多忙な毎日の繰り返しの中に生きる人間にとって、ついつい忘れがちな”幸せの秘訣”が何であるのかを考えさせる傑作だった。