GINZA CUVO

「美」はどこからやって来るものか?

 

ここで,もう一度,私は美容外科医としての自分を振り返り,問いかけてみよう. ――「美しさ」とは何であろうか? 「美」についてわれわれの先人は何を語って きたであろうか? 哲学者は何を語り,書物は何を残し,画家や音楽家は過ぎゆく 時の何を伝えようとしてきたであろうか?
 
通常,美容外科の仕事の現場では,美は「形や容量のプロポーションや整合性の バランス,左右対称性のある均衡と調和であり,そこからもたらされる癒しである」 というふうに教えられる(図 1.4).
 
そのような整合性と秩序のバランスが,美しさとしてわれわれの脳に感受され, 安らぎや喜びや快さとして感動を与えられる.
その総和が「美の輝き」(効果)だというのである.
 
このような美の捉え方は,しかし一定の法則性があるのではなく,地域や民族・ 文化・歴史・環境等によって変化し,さまざまな美の受け取り方も個々の当事者し だいで変化していることがわかる.「○」を美とする者もいれば「△」を美とする 者もいるのである.
 
 
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■図 1.4:(man & woman) 美とは形とその容量のバランス  知らない女性と男性がビーチですれ違うとき,お互いが,自分の肉体的欠点を減らし,自分の魅力を強調しようとする.だがお互いが立ち去ると,その状態は維持できず元に戻ってしまう!
                                                                                      
 
「美」はわれわれに宿る美的感覚を喚起させ,われわれの目を喜ばせ,官能を高め,感嘆を招くことから,美容整形の場では「美しさは視覚的なフェロモン」という言い方がされる場合もある.
「美」は顔や,あるいはそれ以外のものでも,それらの形,バランス,色の適切 な組み合わせによって,見る者の目を喜ばせる.すなわち,「美」はそれ自体とし て存在するものではなく,あくまでも美しさを快さとして,癒しとして受け止める 者の目に映り,その内部に存在している,という見方である.
 
わかりやすい例をあげると,ある女性が通りかかり,一人の男性に出合ったとし よう.そのとき,彼女を見かけた男性の目に彼女が美しいと感じられていれば,彼 女は美しい.その男性の目に美しい女性として映らなければ,彼女は美しくない. これは当然の成り行きなのだが,つまり,「美」が誰しもを喜ばせるものとは限らず, 逆に彼が喜んだときにのみ,そこに「美」が現れるもの,という見解である.
 

美容外科医の父・フルニエの「美しさとは何か?」

 
1980 年代,フランスのパリでは多数の著名な美容外科医が開業し,美容整形の 在り方をめぐって最先端の個性と流行を競い合っていたが,中でもパリ中心部で開 業するフィリップ・フルニエは,美容外科医の立場から具体的に「美」を論じ,美 を求める女性たちの願望や理想と向き合い,双方の出合いの場所を模索した「現代 美容外科の父」と呼ばれる名医である.
フルニエ博士は美容外科医の理論的中枢であったばかりでなく,脂肪吸引の安全性を高めた器具の開発者の一人であり,ケミカルピールの向上にも貢献し,現実的な手法の取り組みの上でも改革者として異彩を放っていた.
 
以下はフィリップ・フルニエ博士の「美容外科と美」を主題とする代表的な論文の翻訳である.フルニエ博士の指導の下,主旨を損ねない範囲で日本語表現に置き換え,私なりに解釈を施した「超訳」で,美容外科医の立場と美についてまとめてみた.
 
美容外科医の場合,手術技術の修練もさることながら,〈美しさとは何か〉を掌 握しておくことも非常に重要である.「美は治療に先立つ存在である」と言ってよ いだろう.いかに技術的に卓越していても,その結果が美容外科医の持つ美しさの 概念やバランスから逸脱したり,患者の想いや望みとすれちがいが生じたり,ある いは受け入れられないというものであれば,その治療結果は決して成功したとは言 えない.
したがって,美容外科医は精緻な治療技術に卓越していると同様に,「美とは何か」 をイメージする芸術的な感覚を習得し,絶えず論理的に美を追究し,患者と向き合 う人でなければならない.
 
 
 
「健やかさ」と「美しさ」の定義
 
WHO(世界保健機構)では,健康の定義について「病気でないとか,弱ってい ないということではなく,肉体的にも,精神的にも,社会的にも,全てが満たされ た状態」としている.「健康と疾病」は,静的に固定された別々の状態ではなく,連続したものであ り,人間の尊厳の確保や生活の質を考えるために必要な本質的なものだと言うので ある.こうした考え方は現在のところ,世界共通の認識・定義となっているが,古代の 人々はどのように考えただろうか.ギリシャの哲学者プラトンは,健康とは沈黙の 臓器であると定義したが,これはありていに言えば,「健康は目には見えないもの」 という意味であろう.
 
プラトンは,「美」について,「健康の後に位置するもの,富よりも重要なもの」 とも言っている. また,これも古代哲学者らしく深遠な言い方で「最も大切なのは健康で,美は二番目に大切なもの,そして物欲よりは上位にあるもの」とも言っている.
要するに,「美」はこの現実を超えたとらえにくいもの,崇高にして神秘的なもの, と解釈して差し支えないだろう.
しかし,われわれ美容外科医の現場にあっては,「美」は現実を超えたとらえに くいものであってはならない.美はこの手の中でとらえられる明白なものでなくて はならないのである.望みや好みはさまざまだから,時には「健康よりも美を上位と考える人」もいるかもしれないし,実際にそういう願望を突きつけられる危いケースも無きにしも非ずである.
 
しかし,医師としてはどんな場合も健康を損ねない範囲で,「明白な美」を追究 しなければならない.健康と美,「健やかさ」と「美しさ」は,われわれ美容外科 医の現場ではどちらかが上位ではなく,「同等の価値」として存在することが原則 である.
 美容外科医が参考とする症状・治療等に関する優れた研究・テキストは,いまや世界中に数多散在しているが,一方,不思議なことに「美容外科医の美学」として発表された論文や研究成果を寡聞にして私は知らない.それは,美容外科医の美に関する教育・研究が十分に行われていないことを側面 的に物語るものだろう.それは美容外科医に問題意識のせいばかりではなく,「美」 がもともと移ろいやすく,とらえがたいものだからである.
 
「美」は制度や概念や因習ではなく,いまそこにあり,生きて動くものである. 無数の姿・形となって瞬くものである.
いろいろな人たちに「美の所在」について訪ねると,さまざまな答えが返ってくる.その多くが満足のいく「完全な返答」にならないのは,美が一つの正解を得たとしても,すぐにそこからこぼれ落ちるような多様性のあるものだからである.
 
したがってここでは,「群盲象をなでる」という古い教えを逆手に取って,美容 外科の現場から見た〈美の断片〉について,実感的に,実践的に,われわれの思索 を展開してみたいと思う.とらえがたい崇高な美ではなく,いまここにある,見て ふれることの出来る美の話である.
 
私の体験では,美容外科医として「美とは何か」という問いにふれるためには, 心理学的に接近することが,一つの有用なアプローチであった.つまり治療の現場 で対等に向き合った際,その人の求めを理解するように努め,患者たちが感じて取っ ている「美」について共感しようと接近することが,一つひとつの私の「美」に接 近する具体的な手がかりだったのである.
患者の望む「美」というものに心理的に接近し,共感することが,「美の希求」にふれる美容外科医としての私の立場だったと換言してもよいだろう.
 

現代美容医療の「美」と「医」の役割

 
すなわち少子高齢化時代は,われわれ一人ひとりが自分の身は自分で支えざるを得ない厳しい時代の到来と捉えることも出来るだろう.
こういった社会状況の中で,“アンチエイジング”と呼ばれる「出来るだけ長い 間健康を維持し,明るく活発に生きるための新しい概念」が出現した.そして美容 外科医療のニーズも急速に“アンチエイジング”のための美容外科医療へと変貌を 遂げていったのである. 
たとえば美容外科領域では,高度経済成長時代に若者に大人気だった「二重埋没法」や「隆鼻術」等の手術は,少子高齢化とともに激減した.その代わりに台頭したのが中高年層がしみ,しわ,たるみを改善を目的とする「アンチエイジングのための美容外科医療」である.
 
一般的にわれわれは,40 歳半ば以降から中高年層と呼ばれる.医学的に見ても われわれの成長ホルモン量や筋肉量は 40 代を迎えると図 1.1,図 1.2 の如く,急激に減少する.骨格や筋肉量はトレーニングにより,その減少や老化を止めたり遅延させることが可能だが,トレーニング等によっても食い止めることが出来ない老化現象も同時に発生する.
 
その代表的な老化現象は,中高年層世代に必発する“老眼”と呼ばれる近い物を 見る際にぼやける視力低下減少である.老眼は眼球前部にある視力ピント調節に関 与する水晶体の弾力性低下と,水晶体に付く毛様体筋の老化による機能不全が原因 で,こういった老化現象はいまの医学では予防不可能である.したがって,この回 避不能な老眼の出現によりわれわれは老化を自覚する.
 
また中高年層世代には老眼とともに“眼窩周囲のたるみ症状”が併発しやすいが, この症状も老眼と同様回避不能である.老眼が自覚症状に留まるのに対して,こう いった眼周囲の外見的老化兆候は,周囲の人達にもはっきりと知られることとなる.
こういった老化兆候を発見した人達は,時として無神経に本人の目の前で指摘するようになる.こういった思わしくない経験を繰り返すうちに,回避不能な老化兆候はわれわれの心の奥底で多大なコンプレックスとして膨らんでいく.そしてこの
コンプレックスは,われわれに老化という厳しい現実を焼き付けていき,次第に中高年層世代は自信を喪失するとともに人生への希望を失い始める.
 
老眼は眼鏡や老眼治療手術が発展しているが,眼窩周囲を中心とする顔面の老化 現象に対する美容外科的治療も,そういった老化に対する多大なコンプレックスに 苛まれる人々への救いの手段として進歩している.そしてこういった老化現象を食 い止めるための医療が,抗加齢(アンチエイジング)外科とも呼ばれるようになった.
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先駆的役割を果たした東京新橋十仁病院

 

我が国の美容外科医療の萌芽も,昭和初期にヨーロッパから導入移植されたものと言われている.前述のように,ヨーロッパの近代医療技術は第一次世界大戦で負傷した兵士たちの傷病に大きく寄与し,その方法と実績が我が国の美容外科の発展にも多大な影響を及ぼしたのである.

第二次戦後の日本の美容外科の進展の中で先駆者的な役割を果たしたのが,東京・ 新橋の「十仁病院」である.「十仁病院」は総合病院の形態を取りながら,多くの 美容外科手術を求める患者を治療した「美」と「医」の両輪を追究する現代美容医 療の先駆け的存在と言っても過言ではない.
 
日本における美容外科の歴史において,美容外科が正式な医療行為であるとの認 知に比較的時間がかかったのは,それが健康な身体に外科的侵襲を加える行為であ るのに対して,安全性の確立が不十分であったことが一つの大きな要因でもあった.
当時の美容医療一般は今日の美容外科の水準と比べると,“手探り状態”と言っ てよい段階で行われており,その中でもパラフィン製剤を用いた豊胸治療等による後遺症などが社会問題化されたことがあった.
初期の美容外科治療においては,豊胸術や顔の若返り術と称して,皮下に直接ゲル状のシリコンを注入し,合併症を引き起こしたり,隆鼻術と称して解剖学的に無謀なプロテーゼ(シリコン樹脂を板状に加工したもの)の挿入を試み,プロテーゼが後年に皮膚を突き破って出てくる症例などが散見された.
 
 
 
標榜科としての正式認定を受ける
 
こうした経緯から,医療の信頼性の回復と先進的技法の修練・構築という目的か ら,1958 年には日本形成外科学会が組織され,1972 年に形成外科は標榜科として 正式に病院の診療科目に加えられ,1978 年には美容外科も標榜科として正式に認 定を受けることとなる.この美容外科の認定に当たっては,「十仁病院」初代院長 梅澤文雄による情熱的とも言える強い働きかけにより,標榜科認定を受けたと言われる.
 
この頃を契機に,美容外科は社会的認知度を急速に広めていくのである.我が国 の経済社会は高度経済成長時代を経て,豊かに成熟した市民社会を形成するに至り, 女性たちの美しさへの憧れや願望・意識も急上昇のカーブを描いていった.外見的 美しさを獲得するための美容外科医療は,右肩上がりの社会とともに発展していったのである.
当時東京や大阪など,大都市のみに限定して事業展開していた美容外科医療で あったが,テレビ・ラジオなどのマスコミ媒体の急速な発展により,都心部のみな らず,日本全国各地にこの新しい医療の存在を知らしめることとなった.
 
そしてこの医療のビジネス価値をいち早く知った医師の中からは,全国チェーン展開する新手の美容外科クリニックも誕生し,瞬く間に拡大していったが,その一方では確実な技術を有することなしに強引な手術を行ったことに起因する医療トラブルも絶えなかった.さらには,治療を提供する医師側の明らかなモラル欠如と思われ金銭や女性関係にまつわる刑事事件なども多発し,美容医療の評価を著しくおとしめる結果を招くところとなった.
 
美容医療に携わるこのようなモラルの低迷は,別の見方をすれば需要過多の「奢りと混乱」であり,専門的な医療に裏打ちされず,業態として確立されていない不用意な精神がごく一部には横行したのである.人々が美容外科医療に対して他医療とは一線を画した印象を持ち始めたのも,人を救うという医療の本来あるべき姿から大きく逸脱する例がこの時期から跡を絶たなかったからである.
とは言え,「美」と「医」の二つの理想を追究する現代美容医療は混乱期の壊滅 的な打撃により,迷路に入り込むという深刻な事態を招くことはなかった.
 
国民経済はこの高度成長の後に起こったバブル経済の崩壊を経て,“失われた 10年”と呼ばれるような長い不況の低迷期に突入していくが,その間も我が国の経済活動は安定的に推移し,多くの人々に物質的充足感と安定した生活意識をもたらしている.
こうしたなかで,国民の価値観は〈モノよりも自分自身の存在〉にこそ求める傾向が強くなり,外見的価値の改善・見直しや維持に直接的に貢献する美容外科医療は,激変する社会状況に揉まれながらも着実に成長していったのである.
西暦 2000 年の新しい時代(ミレニアム)の幕開けとともに,モノよりも己に価 値を見出す志向は一層高まり,人々は自己の成長発展に対する投資を惜しまなくなった.
そして我が国は先進国の宿命とも言える少子高齢化時代を迎え,かつてのように若い次世代に現世代の老後をゆだねる時代は過去の産物に成り果てた.
 

評判を呼んだ皮膚筋皮弁のリフトアップ治療

 

「眼瞼形成術」については 1818 年,ドイツの医師 Von G raefe によって初めて 体系づけられたとされている. 第一次大戦後,1928 年にドイツの Bourguet が後隔膜に位置する下眼窩脂肪の存 在について発表し,さらに経結膜的アプローチによる下眼過脂肪除去術について報告している. しかし,この時点での経結膜的下眼瞼脂肪除去術(皮膚切開を用いないで目の裏側から進入する方法)の適応は,余剰皮膚がほとんどなく下眼窩脂肪が前方に突出した症例のみが適応であった.

第二次大戦後,1950 年代に入ると,ニュージーランドの Sir Archibald McIndoe が,下眼窩脂肪の除去と一緒に皮膚切開法を用いる皮膚筋皮弁のリフトアップ治療 を行い,良好な結果を得られることが出来た.この治療結果が評判を呼び,皮膚に余剰がある症例でも良好な成績が得られるようになった. 近年,1990 年代半ばには米国(アメリカ)の Hamra ST. が脂肪除去を行わず, 眼窩縁靱帯を緩め,眼窩脂肪を眼窩縁に移動させることで,皮膚から突出した眼窩 骨縁や,そこから鼻部に向かって伸びる溝形成を緩和させるという新手法 Hamra 式下眼瞼形成術を実施した.
しかし,皮膚切開法による目の下のクマ(くま),たるみ治療(下眼瞼形成術) を行うと,下眼瞼縁の変形などの問題がある一定の割合で起こることがわかっている. その主因は,皮膚切開時に眼輪筋に伸びる顔面神経末梢枝を損傷することで眼輪 筋機能低下が発生し,瞼板が弛緩することで下眼瞼の外反傾向が起こるからである. このように皮膚切開法を用いた下眼瞼形成術に伴う下眼瞼縁の変形や外反を予防 するため,眼瞼縁外眼角部の支持処置の重要性が知られるようになった.

 

中高年にも適応が広がった経結膜的下眼瞼形成術

 

そもそも外眼角形成術や外瞼板抜去術は,外傷など何らかの原因で発生した眼瞼 縁の変形修正のための治療手技であった.近年これらの手技は,美容外科目的で行 われる下眼瞼形成術にて,眼瞼縁変形の予防としての意義が証明され始め,1990 年以降は下眼瞼切開法は中顔面の若返り治療としても用いられるようになった.

このアプローチで広範囲に中顔面を剥離し,より大きな効果をもたらす治療が進化するにつれ,下眼瞼縁支持に関与する手法が中顔面挙上治療の中で重要な役割を占めるようになった.
一方,皮膚切開をしない経結膜的アプローチによる目の下のクマ(くま),たる み治療(下眼瞼形成術)は 1928 年の Bourguet の発表以来,80 年以上に亘り,ヨー ロッパを中心に行われてきた. また1970 年代および 1980 年代,北米にて数々の文献が発表されたが,Zaremと Resnick の画期的な発表のおかげで,この手法が世界中で認知されるようになった.
経結膜的下眼瞼形成術の初期,この方法は若年層で脂肪のみが突出し,皮膚の弛緩がない症例のみの適応であった.近年その適応が中高年層にも広がり,多少余剰皮膚が存在する場合でも,良好な成績が得られるようになった.特に皮膚切開法にしばしば伴う下眼瞼縁の変形等が発生しないため,その技術が確立されるにしたがって,この方法が大変良好であることが証明された.

1.1 形成外科の一部門として確立されるまで

 

 

古代インドの「造鼻術」に始まる世界美容外科

 

世界最初の美容外科の手術は紀元前 1500 年頃,古代インドで“造鼻術”が行わ れたという記録がある.当時のインドでは,刑罰として「鼻そぎの刑」が行われて いたが,そのそがれた鼻を元に戻すために額の皮を移植して鼻形成をしたというの である.

 

眼瞼周囲の美容外科については,紀元前 400 年頃のインドの記述,Susruta- tantra に記載があるが,時を隔てて近代では 1845 年にドイツのディーフェンバッハが,ユダヤ人に特徴的な鷲鼻を当時の美的基準に照らしてギリシャ・ローマ人のような均整の取れた形にする鼻形成術が行われていた.

 

美容整形と形成外科の原点は一緒であり,紀元前 6 世紀頃の古代インドと言われている.そこで行われていた造鼻術の技術はギリシャやローマにも伝わり,ルネサ ンス期の 1597 年にはイタリアのタリアコッティが形成外科の教科書を書いている.

 

エリザベス・ハイケンの『プラスティックビューティー〜美容整形の文化史〜』 によると,美容整形の原点とも言える形成外科の歴史は古く,16 世紀にイタリア のタリアコッチが決闘で失われた鼻の再建を上腕からの皮膚移植により成功させた という記述があるが,それ以降は形成外科の記録はなく,歴史的記録としては,第 一次世界大戦で英仏米各国の従軍医による戦傷者治療まで待たなくてはならない.

 

 

「美しくなる」ためには時間と努力を惜しまない女たちの登場

 

当時は負傷者の中に顔面外傷も多数含まれており,「形成外科」という呼称はな かったが,従軍医たちは再建手術として治療に当たっていた.そして,第一次世界 大戦後のアメリカ社会では医療分野の専門化,組織化が急速に進み,形成外科部門 は戦時中の功績が認められ独立した分野になっていき,それとともに「美容外科」 へも次第に注目が集まっていったのである.

 

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当時のアメリカ女性は,「美しくなる」ためには時間と努力を惜しまず,重症を負っ た兵士にも負けないほどの大金を美容医療に投じたという記録も残っている.

 

1921 年には美容外科手術がアメリカ社会にすっかり定着し,アメリカの女性に とって〈美〉はたんなる願望ではなく日常生活の中で必須のものになっていった. つまり,「美容整形」は戦傷者治療によって確立された形成外科の一部門として, そこから独立していくという成り立ちを持っているのである.

 

 

4.上眼窩

上眼窩は図-3で示されるように、皮膚直下に眼輪筋、そして眼輪筋直下には眼窩隔膜(Septum)が存在する。また図-6は眼輪筋を切離し、眼窩隔膜に達した所である。眼窩隔膜は矢印で示された白い膜状組織でその下に上眼窩脂肪を包み込む。また図-7は皮膚切開法を用いた上眼瞼形成術を施行した際に上眼窩脂肪を展開したところであるが、上眼窩脂肪に到達するには眼輪筋とこの脂肪の境界をなす眼窩隔膜を切離する必要がある。上眼窩脂肪は中央、外側部は比較的発達しているが、内側部はさほど発達していないことが多い。図-8では横走靱帯を認める。眼瞼挙筋は横走靱帯を滑車に上眼瞼を開眼させる。

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図-6:上眼瞼皮膚切開後、眼輪筋繊維に沿って平行に割を入れながら進入すると矢印で示した上眼窩隔壁(Septum)に到達する。

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図-7:上眼窩隔膜を切開し、上眼窩脂肪を前方展開したところ。

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図-8:余剰脂肪を除去し、デマル鉤にて上眼窩内を上下方向に展開すると、眼瞼挙筋腱膜上に横走靱帯を認める。

5.下眼窩

眼窩内で眼球と眼窩骨間を埋める黄色で示された組織は上下眼窩脂肪である。この脂肪量は東洋人で多く、加齢とともにその容積が増加する傾向にあり、いわゆるBaggy eyelid(目のたるみ)として典型的な老化兆候として認識されやすい。図-9は典型的な下眼窩脂肪の膨隆であるが、この脂肪は内側、中央、外側と3つのコンパートメントに分離されている。下眼窩脂肪に達するには下眼窩隔壁前面から進入する前隔壁アプローチと下眼窩隔壁後面から進入する後隔壁アプローチがある。図-10は前隔壁アプローチにより、下眼窩脂肪に到達しているが、その際は下眼窩隔膜を切離しなければならない。

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図-9:典型的なBaggy eyelid(下眼瞼膨隆)

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図-10:眼窩隔壁前方アプローチにて下眼窩脂肪に到達し前方へ引き出しているところ。

また図-10では、経結膜的下眼瞼形成術の際に下眼窩脂肪内側、中央部をそれぞれピンセットでつまみ、上方へ引き出している。図-11は下眼窩脂肪外側部をペアン鉗子で把持している。図-12は下眼窩脂肪内部を横走するRockwood 靱帯である。Rockwood 靱帯は下眼窩内側から外側眼窩骨まで伸びており、下眼窩脂肪を固定する役割を担っている。上下眼窩脂肪の機能的役割は定かでないが、眼球を衝撃から保護したり寒冷地で暮らす人々にとって眼球を低温から守る断熱作用を有していると考えらている。

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図-11:下眼窩脂肪外側部を同定し、鉗子にて把持しているところ。

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図-12:下眼窩脂肪を下眼窩内で左右に固定するRockwood靱帯(矢印)を同定したところ。

6.眼瞼挙筋とLower Retractor

図-1の緑で示された部位は、上眼瞼では眼瞼挙筋と呼ばれ、動眼神経の支配を受けて上瞼を開眼させる。眼瞼挙筋と瞼板接合部はハードコンタクトレンズを長期装用した場合や、加齢現象により弛緩することがある。同部位が弛緩すると眼瞼挙筋の上瞼を挙上させる力が伝わりづらくなり、いわゆる"眼瞼下垂症"が出現する。また眼瞼挙筋下にある青色組織は交感神経支配を受けるミュラー筋と呼ばれる筋組織で、この筋肉も上瞼の開眼に関与する。図-13矢印は眼瞼挙筋が瞼板へ付着する筋膜移行部を示す。筋膜移行部近位にはピンク色をした眼瞼挙筋自体も認められる。下眼瞼では上眼瞼の眼瞼挙筋が退化し、筋肉から結合組織状のLower Retractorと呼ばれる組織に置換されている。Lower Retractorは何ら機能を有していない。経結膜的下眼瞼形成法ではLower Retractorを切離しながら進入する。

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図-13:左上眼瞼にて矢印で示された横走靱帯下部に眼瞼挙筋瞼板移行部を認める。

7.眼窩結膜

灰色で示された上眼瞼ミュラー筋、下眼瞼Lower Retractorの眼球面は眼窩結膜で覆われている。眼窩結膜は上下天蓋部(Fornix)で折り返し、眼球結膜へと移行する。したがって経結膜的下眼瞼形成術で下眼窩内に局所麻酔剤を注入する際、眼球結膜に局所麻酔剤が移行し、図-14の如く眼球結膜が浮腫状となることがしばしばある。

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図-14:下眼窩結膜に注入した局所麻酔が眼球結膜にも浸潤し、矢印の如く眼球結膜下部が浮腫状となっている。通常この眼球結膜浮腫は治療後7~10日程度で自然解消される。

8.外眼筋

赤色で示された組織は外眼筋の一部であり、上眼瞼では上直筋、下眼瞼では下直筋と呼ばれる。これらの筋肉は眼球運動機能に関与しており、上直筋は眼球上転運動、下直筋は眼球下転運動を司る。外眼筋にはこれら以外にも内側直筋、外側直筋、上斜筋、下斜筋と全部で6個の筋肉から構成される。図-1の黄色で示された筋肉は下斜筋であり、この筋肉は図-15の矢印の如く、しばしば経結膜的下眼瞼形成術の際に遭遇する唯一の外眼筋である。

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図-15:右下眼窩内の矢印で示された赤い組織は下斜筋で、下眼窩脂肪内側部と中央部の境界を斜走する。

下斜筋は下眼窩脂肪内側部と中央部を分けるように位置している。下斜筋は眼球外側から起始し、頭外側から尾内側に向けて斜走し、眼窩骨底に停止する。下斜筋は動眼神経に支配され、収縮すると眼球を上外側方に向ける作用を有する。経結膜的下眼窩形成術において下斜筋を損傷すると眼球上外側方運動に支障を来し、斜視や複視を引き起こす可能性があるので、注意が必要である。下斜筋以外の外眼筋に眼窩形成術を行う際に遭遇することはあり得ない。

症例:59歳 男性

経過:

従来より下眼瞼(目の下)のたるみ、最近になって上眼瞼のたるみ(上眼瞼下垂症状)が気になっていた。こういった知識がない本人は綿密なインターネット検索の結果当クリニックの存在を知り、症状改善の可能性を求めて来院した。

診察:

症状(写真-1)を上部から観察すると、上眼瞼陥没、軽度の眼瞼下垂症、中等度の下眼瞼たるみ症状を認める。上眼瞼下垂症の診断は、眼球動向をやや上眼瞼を覆う状態から軽度眼瞼下垂症と診断した。その症状はやや右>左である。

次に下眼瞼症状を観察すると、典型的な下眼窩脂肪突出による目の下のたるみ(buggy eyelids)が存在すし、症状は右<左である。このbaggy eyelidsによって下眼瞼皮膚色素が強調され、いわゆる目の下のクマ(くま)も目立つ状態である。

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写真-1(治療前)

治療後評価:

上眼瞼下垂症状は下眼窩脂肪膨隆(buggy eyelids)症状がその一因として考えられること、また本人の希望により、最初に下眼瞼症状(目の下のたるみ)改善のための経結膜的下眼瞼形成術から行った。

治療7日後の写真-2を観察すると治療後の腫れはほぼ解消されたものの、左目周囲に軽度内出血が残存している。下眼窩治療は下眼窩内側〜外側まで包括的に行うので、このように内出血が下眼窩内側から外側、さらに上眼瞼まで波及することがある。通常この内出血は治療後10日程度で解消される。

摘出された下眼窩余剰脂肪(写真-3)を観察するとその量は右<左で症状と矛盾せず、下眼窩膨隆症状は適切に処置されたことがわかる。

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写真-2(治療7日後)

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写真-3(下眼窩摘出脂肪)

写真-4の如く下眼瞼治療後1年6ヶ月が経過、症状固定(最終治療結果)に至り、治療前に比べて目の下のたるみ、クマ(くま)症状は大幅に改善された。右下眼瞼に軽度たるみ症状が残存するが、その原因は前回治療において下眼瞼凹み等予防を最優先に治療を行ったため下眼窩脂肪が軽度残存したことによる。だが患者はこの症状はあまり気にしていないため、このまま様子をみることとした。

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写真-4(下眼瞼治療1年6ヶ月後及び上眼瞼下垂治療前)

今回の治療は以前から存在した両上眼瞼下垂症を対象とした。1年6か月前の下眼瞼治療以前(写真-1)と比較すると、治療後の現在(写真-4)、ある程度上眼瞼下垂症状が改善されている。その理由は上眼瞼下垂の一因が下眼瞼構造の不具合なので、下眼瞼治療によりその不具合が解消された結果、上眼瞼下垂症状がある程度解消された。

上眼瞼下垂症に対する治療は上眼瞼挙筋短縮術を行った。この手術は上眼瞼二重線に切開を加えた後、眼輪筋に平行切開・侵入し上眼窩隔壁に到達する。さらに上眼窩隔壁内に切開侵入し、眼瞼挙筋を同定する。次に弛緩した眼瞼挙筋遠位端と上眼瞼腱板を短縮縫合し、眼瞼下垂改善を確認する。その際、眼瞼下垂の一因である余剰皮膚及び上眼窩脂肪を適切に除去することも大切である。最後に上眼瞼皮膚縫合を行い治療を終了する。

上記治療7日後(写真-5)を見ると両眼窩周囲の内出血、左目では上眼瞼二重幅の著しい腫脹を認めている。上眼瞼から摘出された余剰皮膚と脂肪(写真-6)を確認するとその量は右>左で症状と矛盾していない。

眼瞼下垂治療(眼瞼挙筋前転術)が適切に行われた初期サイン(兆候)は両上眼瞼陥没症状の解消だが、本症例でもすでにその初期サイン(兆候)認められた。

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写真-5(上眼瞼下垂症治療7日後)

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写真-6(上眼瞼から摘出された余剰皮膚と脂肪)

両上眼瞼下垂症治療後1か月が経過し、眼瞼下垂症状は良好に解消され、患者満足度もこの時点で非常に高いものとなった。(写真-7)

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写真-7(上眼瞼下垂治療1ヶ月後)

だが治療4ヶ月後、本人は左目の開眼が右目に比べてやや劣ることが気になり、左目再治療を強く望んだので左目上眼瞼下垂再治療を行うこととした。(写真-8)

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写真-8(上眼瞼下垂治療4ヶ月後)

1度目に比べ治療侵襲が軽微なため、抜糸時(治療8日後)でもその腫れは少ない。(写真-9)

初期治療にてほぼ自然な結果が得られていたため、今回の再治療では眼瞼挙筋前転量も控えめとし、左上眼瞼のみが過剰矯正に陥らないことを最優先として治療を行った。

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写真-9(上眼瞼下垂再治療後8日後)

再治療後7ヶ月経過時点での写真を確認すると、今回の再治療では左眼瞼挙筋前転量も軽微であったため、得られた治療結果も比較的軽度であった。(写真-10)

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写真-10(上眼瞼下垂再治療7ヶ月後)

だがこの患者の場合、左上眼瞼下垂症状へのこだわりが大変強く、もしさらなる改善が望めるのであれば、最後にもう一度左上眼瞼の治療を希望した。このような症例の場合、治療を拒絶するのも一案であるが、患者の治療への理解、認知・良識も問題なく、医師との信頼関係は十分にあったので、今回の治療を最後と確約した上で左上眼瞼下垂再々治療を行った。

治療は余剰皮膚切除を中心に行い、眼瞼挙筋前転は確認程度とし、ほとんど行わなかった。(写真-11、写真-12)

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写真-11(上眼瞼下垂再々治療7日後)

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写真-12(上眼瞼下垂再々治療時の余剰皮膚)

最終的に左上眼瞼は3度治療を行ったため、左二重幅は治療1ヶ月が経過しても慢性的腫脹が継続している。(写真-13)

だが本人はすでに複数回治療を行った経験から遷延する経過に熟知しているせいか、不安等を感じることなく現状にすでに満足していた。このように上眼瞼下垂治療は大変デリケートな治療であり、必ずしも1度の治療で解決するとは限らない。患者ー医師信頼関係を構築した上で、過矯正を確実に予防するため、今回の如く必要であれば再治療することを念頭に置くべきであろう。

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写真-13(上眼瞼下垂再々治療1ヶ月後)

1.上下対称な眼瞼構造

眼窩解剖を学ぶ上で重要なことは、眼窩組織が図-1の如く上下対称になっていることである。このことは眼窩組織の発生学上で生じた興味深い事実であるが、この眼窩の上下対称構造を考慮に入れながら、眼窩解剖を理解することが重要である。それは上下眼瞼手術を行う際、この対称性をイメージしながら手術を行うほうがオリエンテーションをつけやすいからである。

図-1:

・上眼瞼の皮膚直下に斑状赤で示された眼輪筋が存在し、この筋肉は閉眼作用を有する。

・眼窩深部から上眼輪筋下に延びる緑で示された組織は眼瞼挙筋腱膜である。挙筋腱膜はその直下で紫色で示されたミュラー筋、さらにその奥に存在するピンク色で示された眼瞼挙筋と結合しており、開眼機能を有する。

・挙筋腱膜下で青色で示された部位は軟骨組織から成る瞼板で、円滑な開閉眼に必要不可欠である。

・上眼窩奥にある黄色で示された組織は上眼窩脂肪であり、この脂肪はその前方にある眼窩隔壁内に収納されている。眼窩脂肪は眼球を保護する役割を担う。


・下眼瞼組織も上眼瞼構造とほぼ同様であるが、下眼瞼で緑と紫で示される部位は上眼瞼の挙筋腱膜と眼瞼挙筋に相当するが、機能を有さずpalpebral ligament、もしくはlower retractorと呼ばれる。

・下眼瞼内で眼球に付着したピンク色で示された部位は下斜筋と呼ばれる外眼筋である。

2.眼輪筋

上下皮膚直下に層状の眼輪筋が存在し、閉眼の際に眼輪筋は収縮する。また下眼瞼の眼輪筋は微笑む際にも収縮し、下睫毛に膨らみになる。この眼輪筋の膨らみは俗称で"涙袋"と呼ばれ、特に若者たちの間で魅力的な目元の特徴として好まれる。(図-2)

図-2:

・上写真は通常の表情で撮影、下写真は微笑時に撮影された。微笑時眼輪筋が収縮し、膨らみを形成している。

つまり眼輪筋は閉眼という機能的役割を果たすとともに表情筋として極めて貴重な役割をも有している。したがって、皮膚切開法による上下眼瞼形成術では眼輪筋への侵襲を考慮して治療を行わねばならない。上眼瞼切開法では、眼輪筋繊維に対して平行切開となり、ほとんど眼輪筋損傷が起こらないので問題になることはほとんどない。図-3の矢印に示されたピンク色の組織が上眼瞼眼輪筋である。

図-3:

・上眼瞼皮膚切開を行い、眼輪筋を露出したところ。矢印で示したピンク色の部位が眼輪筋。

3.瞼板

また上下眼瞼眼裂縁は瞼板と呼ばれる板状の軟骨組織(青)があり、閉眼の際に上下瞼が緩みなく締まるために必要である。図-4では二重埋没法を行うため、瞼板遠位部をピンセットで把持し、上瞼を反転させながら局所麻酔剤を注入しているところである。反転された黄色くみえる部位が上眼瞼瞼板である。

下眼瞼瞼板は上眼瞼瞼板ほど大きくはなく、図-5の如く下眼瞼を反転した際に認められる下眼瞼遠位端の2~3㎜程度の幅の軟骨である。

図-4:

・上眼瞼を反転させると、上眼瞼結膜の下に黄色く見える部位が上眼瞼瞼板。

図-5:

・下眼瞼を反転させると下眼瞼瞼板が現れるが、上眼瞼瞼板よりその幅は狭いことがわかる。

過去にある哲学者が"人間の幸福を損なうのは痛みと退屈"との格言を残したように、痛みは誰にとっても不快であり、いかなる時も痛みとは無縁でいたいと願うだろう。だが美容外科を始め、すべての医療は治療に痛みを伴うことがほとんどである。


特に美容医療では、救命目的や痛みを伴う病の治療ではなく、"Elective Surgery"と呼ばれるあくまで本人の随意によって決められた治療行為を行う。すなわち美容医療の如く、患者のQOL(生活の質)の向上目的に行う医療は、出来るだけ不快感や苦痛を伴わないよう配慮することが極めて肝心である。


またこの医療では、顔をはじめ大変デリケートな領域を扱うことが多いので、治療行為は可能な限り繊細かつ正確でなければいけない。そのため、治療に携わる医師の技術が揺るぎないものであることは当然として、患者の確実な沈静化を図ることが同様に重要である。


例えば美容外科手術に緻密な作業中に、患者が痛みや不快から予想外の動きしたとすれば、たとえどんなに有能な外科医であろうと、正確な治療を行うのは不可能となる。したがって美容外科医療では、適切な鎮静・麻酔剤を用いることで、患者の確実な沈静化と無痛状態を獲得した上で治療を行うことが必要不可欠となる。


外科医療の際の疼痛コントロールは麻酔剤を用いて行う。麻酔は全身麻酔と局所麻酔に大きく大別される。全身麻酔とは吸入麻酔剤等を用いて深い麻酔作用をもたらし、完全な無意識下状態とするものである。したがって全身麻酔時には人工呼吸管理が必要となり、事前の呼吸器・心電図検査や、麻酔覚醒後の管理のため一泊入院が必要となる場合が多い。


だがほとんどの美容外科治療は外来クリニックで行う日帰り手術なので、いわゆる全身麻酔を用いることは希である。そこで外来手術で用いられるのが局所麻酔である。局所麻酔は治療患部に麻酔剤を直接注射し、同部位の末梢神経を一時的に麻痺させるものである。


麻酔効果は数分以内に発揮され、麻酔効果の持続する数時間は完全無痛で治療可能のとなる。だが知覚神経が繊細な顔面への局所麻酔注射を行う際、針刺入痛自体が苦痛となりかねず、この局所麻酔剤・針刺入痛への配慮も必要となる。局所麻酔剤・針刺入痛は30G以下の極細針を用いることで大幅に緩和される。また皮膚表面麻酔剤を局所麻酔剤注入の前に塗布したり、患部冷却を行いながら注射を行うと、針刺入痛はさらに緩和される。

すでに社会的に認知されたヒアルロン酸・ボトックス注入などの一般的治療では、さほど不安を抱くことはないため、上記の如く痛みに対する配慮を行うと、治療は支障なく行えるだろう。だが本格的な手術治療の場合、痛みはさることながら治療結果の予想がつきづらいこと、さらに馴染みのない経験であるため、治療自体に強い不安を感じる場合がほとんどである。


我々は不安を伴うと、神経が過敏となり平常時より痛みを強く感じるようになる。したがって手術治療を行う際は、患部への局所麻酔剤注入前に静脈麻酔と呼ばれる静脈からの鎮静剤注入を行い、患者様の沈静化を図ることが肝心である。このように局所麻酔+鎮静剤の静脈投与の併用をバランス麻酔と呼ぶ。バランス麻酔法は美容外科医療で日常的に行う日帰り外来手術の際、全身麻酔なしでも全身麻酔下と同様の治療が成せる、非常に有用な麻酔法である。